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海外ホットライン

2009.03.27 No.49「海外現地法人の経営」

〜有能なナショナルスタッフを退職させない方法

三菱UFJリサーチ&コンサルティング 国際事業本部 海外アドバイザリー事業部


非金銭的アプローチの有効性を探る

 給料や福利厚生など「経済的報酬」によるアトラクション(人材の引きつけ)やリテンション(人材の保持)は、その導入に長い時間を要さず、実施も比較的簡単である。社内にそれを実行するのに十分な原資があれば、「来月分から給料を上げるので、辞めないで欲しい」と言えるし、即効性も期待できる。
 しかし、その効果はあまり長続きしない。「限界効用逓減の法則」という考え方が経済学にある。「のどが渇いているとき、1杯目の水はほんとうにうまい。しかし、2杯目の水は1杯目ほどうまくない。3杯目、4杯目とだんだんうまくなくなり、最後はもう要らない」となってしまう。

 経済的報酬もそれとよく似ている。給与水準が低いうちは、月給が1万円上がるだけでもうれしい。しかし、月給100万円の高給取りになると、「1万円上げてあげるから辞めないで」といっても、それほどありがたがらない。実際には、感謝されないどころか、「バカにするな!」と怒らせることすらあり得る。ヒトは、この種の外的な動機付けにはすぐ慣れてしまうからだ。経済的報酬だけで人材を確保しようとすれば、ますます高い額を提示し続けなければならなくなる。
 少し前のモスクワで大変なことが起こっていた。中間管理職のスキルを持った人材を採用しようとすれば、なんと2万ドルの月給を提示しないと人材が集まらなかったのだ。この金額は、ロンドンの相場の約3倍である(ジェトロ・ユーロトレンド 2008.7)。ロシアがいくら魅力的な市場といっても、需要と供給のバランスから考えれば、月給2万ドルというのは行き過ぎである。中国やベトナムでも良く似た現象が起きていたが、金にあかして人の確保に走るのは、人材市場を混乱させることからも決して正しい方法ではなく、むしろ甚だ危険なことと言わざるを得ない。

 「ハーツバーグの衛生要因と促進要因」という概念がある。「衛生要因」とは、賃金や執務環境といったもので、これらの要因があってもやる気は引き出されないが、なければやる気が阻害される。「促進要因」は、組織における役割や社会からの認知といったもので、これは満たされるほどに動機付けが強くなる。
 先に見た経済的報酬は衛生要因で、刺激がある一定のところまで達すれば、仕事に対する動機付けは、それ以上高まらない。〔図表1〕からも、ヒトは「金」以外の要因によっても強く動機付けされることがわかる。むしろ、促進要因の効果が衛生要因のそれを上回ると言っても過言ではない。

〔図表1〕 仕事に対する動機付け
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ハーツバーグら「動機付け─衛生理論」

 われわれはコンサルタントという職業柄、経営者の方々と接する機会が多い。私は、経営幹部の方々に「人材のアトラクションとリテンションの要諦は何か」という質問をすることがあるが、その問いに対して、「報酬や制度を充実させることは重要だ。しかし、それだけではダメで、結局一番効いてくるのは、そこで働く従業員の質だ」と回答する方が多い。一流の人材を引きつけるためには、既に一流の人材を社内に保有していなければいけないということだ。

 海外現地法人の場合なら、日本の本社からその地に派遣されている駐在員の質が高いか否かによって、有能なナショナルスタッフのアトラクションとリテンションに差が出てくるということになる。これは、筆者の経験とも合致する。筆者は、前職のメーカー勤務時代に海外駐在した経験をもつ。途中、競合企業の買収もあり、数百名の米国人とともに働いた。もちろん、そこに勤める全ての米国人を知っていたわけではなかったが、私の属するセールス&マーケティング・チームは、その他の管理チームと同じビルにオフィスがあった関係で、それぞれの部署に属するナショナルスタッフとコーヒールームやトイレなどで遭うことがあった。
 そこで、彼らが日本人駐在員(特に中間マネジメント層)について話す、いくつかの噂を耳にしたこともある。その内容のほとんどは能力や人格に係わることであった。ナショナルスタッフによる評価は多少のバイアスはかかっているものの、総じて筆者が常々感じていた評価と整合するところが多く、「よく観ているなぁ〜」と感心したことを覚えている。よく観ているということは、よく観られているということである。つまり、日本人駐在員はナショナルスタッフに常に値踏みされているのである。

 数こそ多くないが、スキルがあって自分にも他人にも厳しい日本人駐在員もいた。彼が率いるグループは、一様にピリッとして規律正しかった。逆に、自分に甘い親分のチームはダラリとしていた。その会社の社風が最高経営層の考え方によって異なってくるように、グループやチームの雰囲気はリーダーの行動に大きな影響を受ける。モチベートされた日本人リーダーは、部下であるナショナルスタッフのやる気を鼓舞する。しかし、いいかげんな日本人リーダーに動機付けされるナショナルスタッフはいない。

上司と部下との関係を考える

 他に影響力を及ぼす方法について詳述した本がある。アラン・R・コーエン、デビッド・L・ブラッドフォードが著した『影響力の法則』(税務経理協会)である。この本を読んでみると、人を動かすには「ギブ・アンド・テイク」の考え方が、いかに重要であるかが改めて分かる。「その根底にある原則は、自分の求めるものを手に入れるためには、先ず相手側が価値を感じる何かを提供すべき、というほとんどあらゆる文化に共通する社会通念としての「レシプロシティー(互恵性)」(よい行動には見返りが、悪い行動には報復がもどってくる)の考え方である」(『影響力の法則』)。

 上司と部下との間にも、このレシプロシティーの関係が存在している。上司は部下に対して、部下は上司に対して、相手が価値を見出す何かを提示することで影響力を及ぼしつつ、自己に課せられた職務を遂行している。
 中国には「老板(らおぱん)」とう社会通念がある。組織の中にあっては、「老板」は社長を意味する。自分たちのことを守り、幸福にしてくれる尊敬すべき老板に、中国人は、とことんついていく。しかし、その逆の場合には離反していく。部下にしてみれば、自分が欲する何かを与えてくれる上司には価値を見出すが、そうでない者には価値を認めないのだから当然だ〔図表2〕

〔図表2〕 上司と部下との関係は「互恵的」
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 海外現地法人のトップやマネジャーは、ナショナルスタッフにとっては、大切な「老板」である。だから、現地法人のマネジメントは上記のことを十分意識して日々の生活を送らねばならない。日本からの派遣社員だけで構成される小宇宙で駐在員生活を『謳歌』していてはいけない。ナショナルスタッフの信頼を得て、「われわれ」という仲間の内側に入ることを許され、そこでしっかりとした地歩を固め、経営に当たることが重要なのである。そうしないと、各ナショナルスタッフが価値を見出す何かがわからず、結果として経営上必要な影響力を行使できなくなるからだ。
 ナショナルスタッフが価値を見出す何かは、常に「お金」など物質的なものであるとは限らない。「居心地の良さ」や「家族のような暖かさ」といったヒューマンタッチなものである場合も往々にしてある。
 タイやインドネシアといった東南アジア諸国には、強い集団主義志向が見られる。《集団主義社会では、「われわれ」の集団と「やつら」の集団が明確に区別されており、「われわれ」の集団(内集団)は、みずからのアイデンティティの主な源であり、(中略)人は生涯にわたり内集団に忠誠を誓う。この忠誠を破ることは人にとって最悪の行為である》。(G・ホフステード著『多文化社会』/有斐閣)

 日本は極東に位置する島国であるとはいえ、アジアの一員である。西洋文化の個人主義よりは集団主義の方がわかりやすいと筆者は思っている。わが国企業は、部下と上司の関係を親と子供、あるいは兄弟同士という関係に置き換えることで、会社を第二の「内集団」化させることができるのではないか。この考え方が、高度経済成長を謳歌した1950年代から60年代にかけて、わが国にも厳然と存在していたことを思い出して欲しい。このように、従業員とのヒューマンタッチな関係性に注目することで、有能なナショナルスタッフを他社に横取りされないための具体的な方策も見えてくる。

 某電子部品メーカーの東南アジア統括会社の社長を務めるA氏は、その文化的ボンデージに気づきつつある。同社の本部はタイにあるのだが、A社長は従業員との距離を縮めるために、中間管理職以上の現地社員とインフォーマルなコミュニケーションを欠かさないようにしているという。また、目標管理の「見える化」にも取り組んでいる。タイの国旗は、赤・白・紺・白・赤の5本の横帯で示される。トン・トライロングともいう「三色旗」の3つの色(赤・白・紺)は、それぞれ国家・仏教・王室を意味している。
 A社長は、タイ国旗のこの3色に注目し、3つの課題を各自に与え、1つ達成すれば国旗の下地である「赤」色のシールを制服の胸の部分に貼ることを許す。2つできたら、「白」色を重ね貼りする。全ての課題が達成できた者には、「紺」色の太いストライプが中央に貼られて、タイ国旗が完成する。「タイの人々が尊敬してやまない王室のシンボルである「紺」を最後に貼らせるところがミソだ」とA社長は言う。

 欧米の多国籍企業のマネジメントは、アジア文化がわかりづらい分、「経済的報酬」というわかりやすく即効性のある手段を使ってナショナルスタッフをマネジメントしようとする傾向が強いように思える。しかし、この報酬主導によるマネジメントでは、冒頭でも述べたように「限界効用逓減の法則」から賃金インフレを招き、好ましい結果を生むことはない。

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