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眞野輝彦コラム
2008.07.11 「前進の見られなかった洞爺湖サミット」
―Leadershipの欠如―
かつてないほどの多くの首脳が集結し7月7日から3日間開催された洞爺湖サミット会議は、意見の対立ばかりが目立ち、環境や原油・農産物問題への具体的成果を得られぬまま閉幕した。その原因を考えてみたい。
第一は、サミット首脳のLeadershipの欠如である。サミットの目的は個別国では対応が難しい問題への対応策をトップダウンで決めることにある。G8のGDPシェアは当時のG6の約70%から低下していることは事実だが、依然として約60%を維持しており、G8が結束すれば世界を牽引できるはずである。しかし各国首脳の国内支持率が低いこともあってか、自国利益優先の姿勢が目立ったのである。
特に、最大の排出国、米国の責任は大きい。京都議定書の枠組みを飛び出し、主導権回復を目指して主要経済国会合(MEM)を立ち上げ、G8の結束を乱したことは極めて残念である。商品価格の原因となっているドル安問題にも自らの対応策を示すこともできなかったのである。
第二に、中国、インドなどの急速に発展する国々の無責任な対応である。現在の排出CO2量が全体の42%に達している自らの責任を認識せず、先進国への責任転嫁に終始したのである。外貨準備を充分保有し、核やミサイル技術保有国にも拘らず、このような対応では、世界の枠組み造りの参加資格があるのかと疑念が湧く。フランスのサミット参加国拡大論の背後に原子炉関連の商売の思惑が絡んでいることは言うまでもない。
第三は、開催国日本の問題である。国会のねじれ現象から新政策が打ち出すことができず、2050年問題どころか京都議定書による2013年目標達成に四苦八苦しているのが日本の現状である。支持率低迷が続く福田首相は外交での得点を狙ってか、3月の環境担当大臣会議に始まる10回の事前会合を開催した。しかし各国の意見集約に至らず、既に予算の無駄使いとの批判も出始めているのである。
Globalizationの時代とは言うものの、各国の利害調整が難しいことを再認識させる洞爺湖サミットであった。しかし排出ガスの放置は「天に唾する行為」であることを忘れてはならない。確かに水没国への対応など全体で手を差し伸べなければならない問題も多く存在するのだが、高度成長時代の日本の川崎喘息問題や最近の北京の空気汚染などからも明らかなように、排出ガス公害は自国民への被害が最も大きいからである。
(注)
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