広汎性発達障害から思う

2010/01/25 善積 康子
障がい

-自尊感情を高める社会の必要性

広汎性発達障害という言葉を聞かれたことがあるだろうか。こだわりが強い、同じ行動を何度も繰り返さないと落ち着かない、他人の気持ちが読み取れない、人と目を合わさない。予定していたことが急に変更になるととても不安になる、などの行動が表れる。
発達障害全体としては、知的障害、広汎性発達障害(自閉症)、高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群・高機能自閉症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害などがある。
このなかの広汎性発達障害は新しく出てきた概念ではない。自閉症と言う言葉はご存じの方も多いだろう。近年この言葉としてさらに広い対象も含めて認知されてきたということである。高機能も含めた広汎性発達障害の場合、知的障害がない場合も多く、特に高機能広汎性発達障害になるとむしろ知能指数などが高かったり、特定の分野について優れた能力を有している人も少なくない。そういう人は実は昔から多数存在していたはずだが、以前は、個性であり多様な価値観の現れとして受け止める環境があったのだろうか。
診断はされていないが、過去の偉人の中にもそうであったと言われる人は多く、現代ではスピルバーグやビル・ゲイツがアスペルガー症候群と診断されている。人とのコミュニケーションが不得手であったり空気が読めない、変人だ、といわれたりするかもしれないが、枠にはめて評価をせず、関心のもてるものにチャレンジしやすい環境があれば、むしろ先入観を持たずに真に必要とするものを追求する力を発揮するのかもしれない。うまく力が引き出されれば、新しいものを生み出す原動力としてはすごいものがあるのだろう。
私が担当している調査で、障害当事者や家族、支援者へのインタビューを実施している。そのなかに発達障害の方もいらっしゃるのだが、共通している悩みは、『一見して障害がわかりにくく、また障害の正しい理解が進んでいないために、他の子ども(人)と同じように処遇されることが多いが、同じ物差しを基準に違っているところを評価されるため、本人の自尊感情(注1)が傷つく』ということである。自尊感情が傷つくということは、悪循環を創り出す根本のように思える。どんな人もそうだが、”自分”を否定されると落ち込み、ひどい時は自暴自棄になったり、不良行為に走ったり、うつや引きこもりになったりと、前向きに生きる意欲を損なう結果になることが多い。現代の社会問題の背景には、このことが大きく関わっていると自分は考えている。
子どもの場合、その時間の大半を学校で過ごす。仮に広汎性発達障害の子どもを指導することになる教職員はどうすればよいだろう。子ども一人ひとりの力や個性に目を配り、引き出す指導(自尊感情を高める指導)をすることが大切であるなら、一クラスの人数が20人台程度の小規模でないと難しいのではないだろうか。しかし教職員の加配も含めてこれは今の日本の学校では実現が難しい。また、教職員も、発達障害について理解し適切な対応ができるかというと、そうした研修等を受けていないことも多い。インタビューからは、専門的な知識を有して対応できる人材の自治体窓口、学校などへの配置を希望する声も多かった。
今般の事業仕分けに義務教育費国庫負担金が取り上げられた。それはそもそも財務省が国庫負担割合を削減する調整を進めているためで、少子化の流れもあり教員数削減などを論拠としているようだが、こうした子どもたちの現実、学校が直面している課題を考えると、人数を減らすということを、今、現場に課すのは酷なことだと感じる。
普通に生活している人と障害者との境界がとても曖昧にみえる広汎性発達障害。福祉制度的に整備が十分ではないこの障害であるが、当事者の実態を把握するにつれ、人の個性として伸ばすべき資質を見いだし、自尊感情と共にそれを丁寧に育むことを基本とした障害者施策あるいは教育、またはニートや生活保護を含めたより広い福祉の施策の実現が、今、強く求められているのではないかと感じる。それにより人々の前を向いた生き方、自信形成につながり、自立意識を高め、長期的には福祉の財政負担も軽減され、犯罪や暴力が減り、ひいては芸術や新しいビジネスの種が芽を出すのでは?と、考える今日この頃である。


(注1)自尊感情:自己に対する評価感情で、自分自身を基本的に価値あるものとする感覚。自分への信頼感・肯定感が高まることで、他者への理解や自己の発展を積極的に捉える意識が強まる。

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