2001年12月号
よく自分自身の体験をとうとうと語り、周りから疎んじられる人がいます。対照的に、自分のことを話しているのに、つい話がおもしろくて引き込まれてしまう人もいます。後者は、個人的な体験を基にしていても、話題をすべての人に共通する関心事に一般化して話すことのできる人です。ささいなことに思われるかもしれませんが、実はこうした話題の一般化・普遍化ができない人は、ビジネスパーソンとして失格ではないかと私は考えています。
フランスの文学者ボーヴォワールも、「私小説と純文学の相違」として同様のことを述べています。つまり、私小説は個人的な体験を延々と興味本位に書き綴るもので、確かに現実の生々しさはあるが、それだけで文学にはなり得ない。私小説を芸術的価値を持つ純文学にまで高めるには、作家の体験を昇華して、一般化する努力が必要だと言っているのです。
では、そういう私小説的な体験を一般化する能力は、どのようにして得られるのでしょうか。もっとも効果的な答えは、「自分の属している組織にだけ閉じこもるな」ということです。
会社の内部でしか交遊関係を持たない人は、話のネタも少なく、自分の体験に終始した話しかできず、同じような話を繰り返すようになりますから、聞いている人を退屈にさせます。それでは、話している本人の印象さえも、退屈なものにしてしまうでしょう。
だからこそ会社の枠から飛び出し、外部の人との付き合いを通して、さまざまなレベルでものごとが見られる視点を養うことが大切なのです。
経済学でも、目先の現象にとらわれず、普遍的なものの見方を常に意識する必要があります。なにか起きるたびに、その個別の事象について注釈をつけているだけでは、事象の全体を解決する理論は構築できません。
私自身も長く大学で教鞭をとっていましたが、国立大学の職を辞した後は、幾つかの企業の経営をお手伝いするようになりました。すると、そこに新しい発見が生まれたのです。
まず、産業界の人々の私に接する態度が変わってきました。彼らは、私が大学教授だけを仕事にしていたとき、私のことを、このように見ていたのです。「経済学者といっても現場の詳しい実情は知らないし、言いたいことを言うだけで自分の言質に責任も取らないんだろう」と。
ところが私が実際の現場に足を踏み入れ、彼らと一緒に議論する機会も増えてくると、「価値観を共有する一員」として見てくれるようになったのでしょう、胸襟を開いて、これまで教えてくれなかったような情報を提供してくれるようになったのです。彼らと共に、日本企業が抱える生々しい問題点について論議することで、中身や質のまったく異なる情報が入ってくるようになりました。
まだ私自身、勉強の途上ですが、企業が抱える問題は、伝統や規模、業種によって多少の違いはあるものの、共通する点も多々あることが分かってきました。
最大の問題は、ガバナンス(統治)のあいまいさです。つまり誰が意思決定し、責任を取り、実行するのか、その結果に対してどういう報酬やペナルティーが与えられるのかという約束ごとが明確でないのです。
例えば、これまで日産自動車のクルマのデザインは、決して優れたものとは言えませんでした。それには理由があって、生産、販売など、すべての部門の人が、デザインの細部にまであれこれ注文をつけていたのです。そのためデザインに責任を持つ人の存在感は失われ、設計者のオリジナル・デザインは、製品ができたとき、跡形もなく失われていました。
この悪弊を正したのが、カルロス・ゴーン氏です。ゴーン氏は、「こんなあいまいなガバナンスでデザインをしていたら、ブランド価値のあるクルマなどできない」として、デザイナーの仕事に他の人間がいっさい注文をつけてはいけないという指示を徹底させました。とかく大胆なリストラなどが強調されるゴーン改革ですが、実はこのデザインのガバナンスを徹底させた点が、隠れた、しかし非常に重要な改革のポイントだと思います。
ガバナンスの問題は日本の文化に深く根ざし、政府や大学など日本の組織全体に共通する問題です。しかし現場に足を踏み入れなければ、こうした情報は入手できません。
このように、書物や新聞、雑誌で得られない情報にリアルタイムで接することで、学問の幅も広がるような気がします。
私は数年前から、経済に限らずさまざまな分野の第一人者が集まる研究会に参加しています。メンバーは作曲家の三枝成彰さん、エジプト考古学の吉村作治さん、地球物理学の松井孝典さんといった方々です。初めは、畑違いの人々が集まって議論になるのかとも思いましたが、始まってみると、自分が今、一生懸命考えて悩んでいることを、実は違う分野の人も同じように考え、悩んでいるということがしばしばあるのに驚きました。
あるとき私が、「経済の分野では、アメリカ型のグローバル・スタンダードで自由競争への道に進むか、日本の独自性を追求すべきかが問題になっている」という話をしたところ、三枝さんが、「音楽の世界でもまったく同じことがある」と発言しました。
例えば西洋音楽のルールをグローバル・スタンダードという言葉に置き換えると、ベートーベンは当時の西洋音楽のルールをきっちり守った作曲家で、グローバル・スタンダード派の最たるものらしいのです。ルールを守りながらも、きわめて個性的、かつ重厚で感動的な音楽を作り出しました。
これに対してモーツァルトは本当の天才で、音楽の「ルール」をしばしば逸脱します。それでも誰もが認めざるを得ないぐらい、おもしろい曲想が次々と湧いてくる。つまり重要なのはグローバル・スタンダードに則った曲を作るかどうかではなく、最終的には独創性だというのが三枝さんの結論でした。
すると建築士の方から「建築の世界でも同じような話がある」という発言が飛び出し、プロゴルファーの方からは、「ゴルフでも、没個性的なぐらいスタンダードなスイングを身につける人と、独自のスタイルを持った人がいる」といった具合に話題が広がり、グローバル・スタンダードという一つのキーワードで、3時間も議論が盛り上がりました。
このようにさまざまな分野の人たちと広く交流を持つように努力すれば、会社の中にいるだけでは絶対に得られなかった知識が得られ、幅広いものの見方ができるようになります。これは人間に厚みを持たせる上で、非常に効果的な方法です。
ただし注意しておきたいのは、ただやみくもにいろいろな人と付き合っても、見識は身につかないということです。
以前この雑誌で「コアスキルに1万時間を注ぎ込め」と申し上げたことがあります。つまり、自分の専門領域をある程度確立した上で応用範囲を広げていかないと、根なし草のように、ただ他人の意見に流されるままに考え方がフラフラと揺らいでしまうからです。
ですから若い人たちには、まず「自分の専門領域を確立するため、その分野の勉強に1万時間を注ぎ込め」というポリシーを大切にしてほしいと思います。
そこで専門性を高め、「スペシャリスト」と言われるようになったら、次の目標は複数の分野で能力を発揮できる「スーパーゼネラリスト」です。一つの世界に止まっているとやがて才能の井戸が涸れてしまいます。コアスキルをある程度確立したら、異分野の勉強に取り組み、交際範囲を広げて、自分に厚みをつけていく努力をしてください。そこに必ずや、一流のビジネスパーソンや経営者に通じる道があるはずですから。
日本経済新聞社刊「日経キャリアマガジン」12月号より(転載)