PHPビジネスレビュー 21世紀のリーダーシップ論

2006年1・2月号

第17回 『自信に満ちた「リーダー』になるために(2006年1・2月号)

三百年以上も前に上方歌舞伎を立ち上げ、一世を風靡した坂田東十郎を襲名することになった人間国宝・中村贋治郎さんが、最近開かれたあるシンポジウムでリーダーシップについて話しておられた。

司会の野中郁次郎一橋大学教授の問い。

「贋治郎さんが多くの弟子達に芸を教え、歌舞伎の伝統を伝えようとする際、リーダーとして一番強く心がけてこられれていることは何でしょうか」。

贋治郎さんの答え。

「それはリーダーである私が自分の芸に絶対の自信を持つことです。もし私が自分の芸に対して、いささかの疑念、躊躇を見せるようなことがあっては、弟子達はすぐにそれを見破り、本気で私から学ぼうとしなくなります」。「しかし、そのような盤石の自信を持つためには、自分が納得できるまでの厳しい修練の積み重ねが必要です」。

どのような分野であるかによって「修練」の中身は当然異なるだろう。政治家であれば、世界を見渡す広い見識や歴史観、自国の文明に対する深い理解などが不可欠であろう。ビジネスマンであれば、そういった知識に加えて、どれだけビジネス上の修羅場を経験したかも問われるであろう。いずれにしても、後進の者から見てリーダーのポジションにいる者がどれだけ徹底してこういった研鑽を積んできているかが「揺るぎない自信」のための決め手になるであろう。

幕末から明治維新にかけて活躍したリーダー達は実に威風堂々としていたと伝えられている。その例としては岩倉具視使節団を取り上げるのが適切だろう(本連載2004年1・2月号参照)。明治維新まもなくの一八七一年の十一月、岩倉具視を団長とする遣米欧使節団が近代国家の青写真を描くため、横浜を出港した。木戸孝允、大久保利通、伊東博文らが主たるメンバーとして参加したが、1年10ヶ月もの壮大な旅となった。彼らを迎え入れた欧米の人たちは彼らの威厳、品格、堂々たる立ち居振る舞いに大いに感心したという(泉三郎『堂々たる日本人』(1996年、祥伝社))。言うまでもなく、彼らは外国語もろくにできなかったし、ましてや欧米流のマナーを身につけていたわけでもなかった。

しかし、彼らは表面的なマナーの欠如を超越する何かを身につけていた。彼らの多くは20歳代か30歳代の若さであったが、何よりも、日本が植民地化されるのを何とか阻止したいという強い意思と高い「志」を持っていた。さらに、『四書五経』『記紀』など漢学の深い素養をを持っていたことも彼らの立ち居振る舞いに大きな影響を持っていたと思われる。だからこそ、欧米人の目に「堂々たる日本人」と映ったのではないか。

現代の日本のリーダーが外国を訪問しても、同じような感銘を与えることができるかというと、もちろん個人差は大いにあるが、平均的に言うと「退屈で面白くない人達」という印象を与えているのではないかと怖れる。そうだとすればおそらく、その原因の一つは、現代日本のリーダーに国を背負って立つというエリートとしての自覚が欠如していることにあるのではないか。エリートとはいかに社会のために自分が役に立てるかを常に考え、行動している人と定義できるが、たしかに、岩倉具視使節団が欧米を旅した時期は、西洋列強が新たな植民地を求めてアジアに攻め上がってきた時期であり、うかうかしていると国が植民地化してしまうという強烈な危機感があった。だから、自分たちが欧米の近代的な技術や制度を一刻も早く取り入れ、日本の独立を守らなければならないという思いに満ちあふれていた。この時期のリーダーは、何よりも、自分が社会を支え、変えていくという気概を強く持っていた。

岡崎久彦氏は「人間は弱いものです。将来、指導者になる見込みのない人が指導者としての人格識見を磨くということはまずありえません」(『教養のすすめ〜明治の知の巨人に学ぶ』青春出版社、2005年7月刊)と述べておられるが、たしかに指導者としての自覚、あるいはエリート意識を持つ人でなければ、修練もしなくなるだろうし、そういった人がリーダーになれば「退屈なリーダー」にならざるをえないだろう。岡崎久彦氏によれば、明治のリーダー、たとえば、幕末から維新にかけて日本の近代化に大きな貢献をした勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、陸奥宗光などの「知の巨人」が、例外なく、節目節目に筆舌に尽くしがたいほどの猛烈な知的「修行」を行ったという。彼らは一生のうち何度か、二、三年あるいはもっと長い期間にわたって死にものぐるいの勉強をしている。この死にものぐるいの勉強(それは「勉強」という言葉をはるかに超えた「修行」であった)を通じて、リーダーとしての見識や志を身につけていったのである。岩倉具視使節団がメンバーの立ち居振る舞いが素晴らしいと各地で絶賛されたのも、彼らの教養の深さと志の高さゆえであった。

勝海舟などは、蘭学を勉強するために、蘭学の辞書五十八巻を二回筆写するという荒技をやってのけている。それは、彼が極貧生活を送っていたためで、筆写して一部は自分が使用し、一部は人に売りさばいて生活の足しにした。この期間、夏も冬も布団に寝ることなく、「日夜机によって眠る」生活を送った。それくらい凄まじい修行が日常茶飯事だった。これによって蘭学をマスターした勝は、約十年後に幕府の海軍建設の中心人物になった。

もう一つ、逸話がある。当時、攘夷派だった坂本龍馬は、開明派の勝を暗殺しようとして勝を訪れるが、勝と会って一言二言交わしただけで感服して暗殺を断念し、それどころかたちまち彼に師事してしまったたという話である。西郷隆盛も勝にはじめて会って勝のことを「実に驚き入り候人物」と評したが(岡崎久彦『教養のすすめ』)、坂本龍馬や西郷隆盛にこれほどの感銘を与えることにできるた海舟の生き様をもっと深く研究してみることはリーダー研究にはおそらく非常に役に立つのではないだろうか。

いずれにしても、勝海舟をはじめ、幕末から明治にかけてのリーダーには、指導者としての自覚に基づく厳しい修練の結果、戦後日本のリーダーとは違う風格が備わっていたことは確かなようである。戦後日本は、平等を強調するあまり、世の中を変える力のある真の指導者を育てることを完全に放棄した。エリート主義は不平等だということで排除された。松下幸之助氏が松下政経塾を創られたのも、国を思うエリート不在に大きな危機感を抱かれたためではないだろうか。

たしかに、敗戦を経て作られた戦後日本の教育システムは志の高いエリートを育てるという点で失敗したと言えるだろう。私事で恐縮であるが、私は小学校入学が昭和二十三年だから、丸ごと戦後教育を受けてきた一人である。小学校から大学まで、すべて国公立学校に通ったから、戦後のいわゆる民主主義教育そのものを「丸ごと」体験した。この時期の平均的な日本国民が受けた教育と私が受けた教育はそう変わっていないと思う。

その教育とはどんなものであったか。一口で言えば、まず過去の否定。日本という国の否定。自信をなくした教師達が、大東亜戦争の過ちを繰り返し指摘し、日本という国の過去を否定し、近代日本のリーダー達の功績をも顧みない傾向が強かった。日本史の授業はだいたいは江戸末期で終わり、後は自習に任された。日本という国家に誇りを持てるようなことを教える教師は皆無だった。日本人が戦争でいかに残虐であったかをとうとうと語る教師はいても、日本という国が国際社会の中でいかに生き延び、今日の地位を築いたのかという国家二千年の歴史を分析し、説明できる教師はいなかった。日本の伝統芸術のすばらしさを説く教師もいなかったし、そのような授業時間はそもそも設けられていなかった。

また、倫理や道徳を教わることはほとんどなく、古典をひもときながら、教師と生徒が人は何のために生きるのか、何のために勉強するのかという哲学的思索をともにする経験もまずなかった。勉強の目的は有名校に進学することであり、美しく、あるいは、社会のために生きるためではなかった。このことに疑問をさしはさまず突進できる人が有名校に進んだ。知識は猛烈に詰め込んだけれども、それだけであった。これでは人間的魅力に溢れた指導者はなかなか育たない。

かくして、国を想い、人間のあるべき姿を模索し、自らの生き方を自問自答するエリート教育は、デモクラシーや平等社会という名の下に完全に消滅した。幕末の松下村塾、緒方洪庵の敵塾、戦前の旧制高校の教育といった指導者を育てるためのエリート教育は敗戦を契機として、すべて葬り去られた。

戦後60年。根本にまで遡って考えるリーダーシップ教育の喪失は何を我々にもたらしたか。それは、現代の日本のリーダー達の姿に現れているはずである。もちろん、立派なリーダーも少なくないが、そうでない人はもっと多いように見える。明治のリーダーに比べて、今日のリーダーに欠けているものがあるとすれば、社会を良くしたいと思うエリートとしての責任感の欠如、「志」の欠如であり、指導者としての自覚が不足しているがゆえの圧倒的な「勉強不足」なのではないだろうか。その結果、自信のないリーダーが次々に生まれたのであろう。

しかし、明治のリーダーのように、「志」を持ってとことん修練すれば、なぜ「自信に満ちあふれたリーダー」になれるのだろうか。

いろんな表現が可能だと思うが、それは修練を積むうちに、一つ一つそれまでに超えられなかった「壁」を超えることができるようになるからではないか。人生のうちに、何回か集中して修行をすることによって、乗り越える「壁」の数が増えていく。乗り越えられないと思っていた「壁」を次々に乗り越えることによって、自然に身体から自信がみなぎってくる。

海外から入ってくる耳障りの良いキャッチフレーズをいくら上手に駆使して説明を重ねても、それだけだけでは人に感銘を与えることは出来ない。自分の「修行」によってどれだけの「壁」を乗り越えることができたのか。「自信に満ちたリーダー」はおそらくはこのプロセスを経ずしては生まれてこないのではなかろうか。(終わり)

【PHPビジネスレビュー(PHP研究所)2006年1・2月号より転載】

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