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中谷巌コラム

民主主義や市場原理は「刹那的」である!?

2009.05.28

三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 中谷巌

 私たちが今日のような豊かな生活を享受することができるのは、我々の先祖が残してくれた様々な歴史的資産の結果である。現世代の力だけでそれが可能になっているわけではない。つまり、私たちはすぐれて「歴史的な存在」であるということである。
 しかし、私たちはこの当たり前のことをしばしば忘れてきたのではないか。到底返済できそうもない借金をして子孫にそのつけを負わしたり、豊かな自然を躊躇なく破壊し、地球環境を毀損してきたことなどは、自分たちが「歴史的な存在」であることを忘れている象徴的な事例であろう。
 現代人をこのような刹那的、利己的にした張本人は実は「民主主義」である。あるいは、民主主義の経済版である「市場原理」である。民主主義であれ、市場原理であれ、その一大特徴は、意思決定が現世代に委ねられていることだ。現世代が「こうしたい」と考えて投票し、モノを買うことによって、社会の方向が決まり、資源配分が決められていく。
 世界が近代化される前は、「伝統」が重要な意味を持っていた。伝統を尊重するということは歴史的つながりを大事にするということである。しかし、近代市民革命がおこり、「民主主義」や「市場原理」が伝統にとってかわった。「民主主義」や「市場原理」は人間を伝統の縛りから解放した。なぜなら、これらの原理は「現世代の価値観で世の中のことを取り仕切ってもよい」という「現世代の欲望最大化」を認める考え方だからである。
 すなわち、「民主主義」や「市場原理」のもとでは、自分たちの先祖が大事にしてきたもの(伝統)をどうするのか、自分たちの子孫がこれからどうなっていく(未来)のか、といった歴史的視点は、現世代が利己主義的であればあるほど軽んじられれてしまうことになる。これが現代の様々な問題を生み出しているのだが、その意味で、民主主義や市場原理は決して「最善の制度」ではない。しかし、我々はそれに代わる理想の制度をまだ発見していないのだけれども、「最善でない」ことを忘れると、とんでもない失敗をしでかす。
 地球環境破壊はその典型的な例であろう。豊かな森林が伐採することで(短期的な)経済効率が上がるならば、たしかに現世代は物質的に豊かになるだろう。ご先祖様が大事だと思っていた美しい国土が失われ、子孫が被る環境修復のコストが天文学的に膨れ上がったとしても、現世代の生活水準が上がるからよいという刹那的な「民主主義的決定」が環境破壊をもたらしてきたのである。過大な財政赤字は現世代を豊かにするかもしれないが、そのツケを将来世代に回すとなると、それは「現世代の欲望最大化」の結果に他ならない。
 繰り返しになるが、「民主主義」も「市場原理」も、現世代の刹那的な意思決定を容認するがために、歴史的視点を欠いた決定がなされてしまうという大きな欠点を内包している。現世代が自らの存在を「歴史的な存在」と認識し、彼らがなす意思決定の中身を刹那的なものではなく、過去を尊重し、未来を見据えた長期的視点に基づく決定に変えていくには何が必要なのであろうか。
 それに的確にこたえることはとてつもなく難しい。間違いなく必要なことは、私たちがもっと真剣に「歴史に学ぶ」ことであろう。そして、浅はかな刹那主義の非に気づき、自分たちが「歴史的な存在」であることを認識することであろう。果して人間はどれだけ利口な存在になりうるのか。その答えは、今世紀中に見えてくることだろう。

中谷巌 中谷 巌 Iwao Nakatani
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 理事長
一橋大学経済学部卒業。ハーバード大学Ph.D(経済学博士)を経て、大阪大学経済学部教授、一橋大学商学部教授を歴任。現在、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 理事長 。

(注)

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