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中谷巌コラム

「資本主義以後の世界」とはどんな世界なのか

2012.01.20

三菱UFJリサーチ&コンサルティング 理事長 中谷 巌

 私は平成24年1月22日、満70歳の誕生日を期して拙著『資本主義以後の世界』を刊行することができた。以下、本書を書くに至った動機や考え方をこの欄を借りて述べさせて頂きたいと思う。
 本書は、長らく世界の経済発展を牽引してきた西洋主導の資本主義体制が大きな壁にぶつかり、歴史的使命を終えたかもしれないという前提で書かれている。
 しかし、そもそも資本主義に取って代わる体制というものはあり得るのだろうか。人間の欲望実現を正当化し、それをもっとも効率よく実現するための装置である資本主義体制は確かに巨大な成果を人間社会にもたらした。我々の生活が今日のような水準の高いものになったのはまさに資本主義という経済社会体制のたまものである。
 その資本主義体制が歴史的使命を終えたというのは本当なのか。こういう疑問があちこちから噴出しそうである。それほど、資本主義という経済体制は強靱であり、そうたやすく崩壊しそうにないのも事実である。
 しかしながら、資本主義はいまや「ユーロ危機」「99%対1%デモ」「原発事故」など、多くの困難な問題に直面しており、その出口がなかなか見つからない状況にある。明らかにその行く手には「大きな壁」が立ちはだかっている。
 確かに、現代グローバル金融資本主義という経済体制は、国際的な規模での金融危機を恒常的に発生させ続けている。アジア通貨危機、ITバブルの崩壊、リーマン・ショックと続き、現在はユーロ危機が世界を揺るがせている。
 それだけではない。多くの国では所得格差が拡大し、富の偏在が顕著になり、また、貧困層を大量に生み出している。それがウォールストリートにおける「99%対1%デモ」のような形で世界中に広がりつつある。また、福島原発事故に見られるように、利益優先・効率性追求が行き過ぎた結果、環境破壊が止めどなく進行しているのも資本主義体制の持つ大きな問題点である。
 さらに大きな問題は、日本を含む先進資本主義経済が、成長の壁に阻まれ、構造的不況に見舞われていることである。日本はすでに「失われた20年」を経験したが、欧米諸国はこれから日本の後追いをしそうな状況にある。
 資本主義世界が行き詰まっている最大の理由は、「フロンティアの消失」である。第一に、第二次世界大戦後、多くの植民地が独立したことで西洋列強にとって収奪可能な「地理的フロンティア」が消失した。第二に、ここ30年ほどの間にアメリカが創出した利潤を生み出す打出の小槌としての「金融フロンティア」がリーマン・ショックやユーロ危機で大幅に縮小した。第三に、環境破壊の拡大によってこれまで人類が好き放題に搾取してきた「自然フロンティア」が消失しようとしている。これらが先進資本主義国の潜在成長力を大きく低下させた。わずかに残されているのは、インターネットを媒介にした「バーチャル世界」というフロンティアである。しかし、これが成長にどの程度貢献するのか、今のところ明らかではない。
 長期不況が収まりそうもないもう一つの理由としては、フロンティア消失により低下した経済成長率を引き上げようと、ほとんどの資本主義国が積極的な財政政策を採り続けたため、至る所で国家債務危機が表面化していることがあげられる。これらの国々では(日本も含め)、今後、厳しい財政再建に着手せざるを得ない。これは世界的な需要収縮に結びつく可能性を秘めている。
 成長のためのフロンティアが消失した上に、世界的な財政収縮が起こるとすれば、世界景気は当分の間、悪化せざるを得ないだろう。ユーロ危機の解決策も究極的には財政規律の回復に依らざるを得ず、もし多くの国が一斉に緊縮政策に転換すれば、世界的な需要の収縮を招き、場合によっては大恐慌をも招きかねない状況である。
 また、資本主義世界が行き詰まったために、かつてはそれなりの規模で存在した貧困層に対する所得再分配の余裕が多くの国においてなくなってしまった。このため、ウォールストリートを占拠した「99%対1%デモ」を始め、世界的な広がりを見せた厳しい富裕層批判も容易には収拾がつかなくなっている。
 このようなグローバル資本主義の危機を克服するには、おそらくは早晩、「文明の転換」が不可避になるであろう。「文明の転換」というからには、資本主義の前提となる「あくなき資本の自己増殖」を許容する思想に対しては一定の制約が加えられるべきであろう。たとえば、グローバル資本の投機的取引を規制することが必要になるだろう。グローバル資本が瞬時に世界中を動き回る自由を許容し続けるならば、恒常的に発生する金融危機を押さえることは不可能だからである。
 しかし、グローバル資本の投機的取引制限については強力な反対勢力が存在する。グローバル資本は自由な取引によって利益機会を拡大しているわけであり、それが制限されることについては強力な反対運動が展開されるはずだからである。とくにアメリカやイギリスでは国家と金融資本の結びつきが強く、これらの国々が金融規制に賛成するとは思えない。しかし、希望が全くないわけではない。それは今後も金融危機が頻発し、世界経済の根幹を揺るがすような事態が続けば、投機的取引規制論が勢いづくことも十分あり得ることだからである。また、伝統的にアングロサクソン流のレッセフェールに抵抗感のある日本やドイツ、フランスなどが投機的取引規制の推進勢力になる可能性もないわけではないし、むしろ日本はその先頭に立つべき立場にあると思う。
 また、グローバルな競争激化が不可避的に生み出す所得や富の偏在を是正するには、市場での取引から実現する資源配分のみを「正義」と見なす「交換の思想」を改め、人類が昔から持っていた「贈与の思想」や「互助の思想」への転換が必要になるだろう。これは、利己的な欲望の追求を認めてきた西洋近代思想に対して、根本的な価値観の転換を求めるものである。人間はいつ、利己的な欲求追求の手段としての市場至上主義を修正し、利他的な「贈与の精神」が組み込まれた社会システムに回帰できるのであろうか。
 もう一つ、「資本主義以後の世界」を構築する上で必要になるのは、何事も技術によって解決できるとする「過剰な技術信仰」や「自然は人間が管理すべきもの」という西洋的な自然観を改めることである。人間が自然の恵みに対してもっと「敬虔かつ謙虚」な気持ちを持つという意味での「自然観の転換」である。これがない限り、地球環境破壊はとどまるところを知らず、原子力のような人間が住む「生態圏」の中では制御不可能な技術に人間が振り回される状況が続くことになるだろう。
 「文明の転換」は確かに容易になし得ることではない。我々が慣れ親しみ、日常、当たり前だと信じている思想様式や行動様式を覆すのが「文明の転換」であるとすれば、それは想像を絶する困難を伴うに違いない。現実主義者が、価値観の変換を必要とする文明論的なスケールの解決策を非現実的と考えるのは当然であろう。
 しかし、それでもなお、今日の資本主義世界の閉塞状況を見れば、いずれ「文明の転換」が必要になることは間違いない。問題はそれがいつのことになるのかということだ。それはすぐそこに迫っているのか、五○年も先のことになるのか。
 これは誰にも正確に予測することはできないが、世界経済の現状を見れば、いずれ「資本主義以後の世界」が訪れることは確実であり、そのときには、否が応でも我々の価値観の転換が不可避になる。その中身がどのようなものになるのか、正直言って、あまりにも複雑な問いであり、正確に見通すことは難しい。しかし、世界経済の混迷ぶりを見るにつけ、我々はそろそろこの困難な問題に目を背けることなく、正面から立ち向かっていく覚悟が必要なのではないだろうか。

中谷巌 中谷 巌 Iwao Nakatani
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 理事長
一橋大学経済学部卒業。ハーバード大学Ph.D(経済学博士)を経て、大阪大学経済学部教授、一橋大学商学部教授を歴任。現在、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 理事長 。

(注)

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