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サーチ・ナウ
2009.10.19 「クール・ブリタニア」と「クール・ブリタニカ」
〜正しい文化政策研究のススメ〜
クール(Cool)とは「格好の良い」、ブリタニア(Britannia)とは、イギリスのラテン語名であり、"Cool Britannia"では「カッコ良いイギリス」という意味となる。
この言葉は、元々は大手アイスクリーム・ショップBen and Jerryによって1996年4月から販売されていたフレーバーの名称であった(注1)。ちなみに、この「クール・ブリタニア」という名称は、1740年に作曲された英国の愛国歌「ルール・ブリタニア」(Rule, Britannia!;統治せよ、英国)のパロディである。
元々はアイスクリームのフレーバーであった"Cool Britannia"であるが、それに別の意味が付加された契機は、ニューズ・ウィーク誌1996年11月号における巻頭特集「ロンドン式(London Rules)」において、「ロンドンが世界で最もCoolな首都である」との記事が掲載された頃である、と言われる。
そして、翌1997年5月、英国の国政選挙において労働党が大勝して、保守党から政権を奪回し、当時まだ44歳であった党首トニー・ブレアが首相となった。このような社会情勢の中で、若々しくかつトレンディな英国を象徴するキャッチフレーズとして、"Cool Britannia"は、英国内外のマスコミによって盛んに取り上げられるようになったのである。
さて、この"Cool Britannia"すなわち「カッコ良いイギリス」について調べてみると、日本で書かれた資料においては、「クール・ブリタニカ」というよく似た言葉も散見されることに気づく。「ブリタニカ」といっても百科事典のことではなく、やはりラテン語である。ラテン語を勉強したことがある知人に確認したところ、ラテン語の"〜ica"とは接尾辞で、英語の"〜ic"と同じとのことである。すなわち、"Britannica"とは「Britannia(イギリス)の」という単語であり、"Cool Britannica"では、「イギリスのカッコ良さ」と、前後を倒置させた意味となる。
そんなことどちらでもよいではないか、と思われる方もいるかもしれないが、筆者は英国の『クリエイティブ産業』政策についての論文(注2)をまとめる機会があったので、大いに気になってしまい、その際に調査してみたところ、正しくは「クール・ブリタニア」であることが確認できた。例えば、英国政府で文化政策を所管する省のサイトにおいては、 "Cool Britannia" では情報の検索ができるが、"Cool Britannica"では何もヒットしない。
一方、Google で"Cool Britannia"及び"Cool Britannica"を検索してみると、実に興味深い事実が浮き彫りとなる。「クール・ブリタニカ(Cool Britannica)」という誤用は、世界中でも日本を中心に使われている言い回しであり、日本では中央官庁による政策資料や国会の議事録、著名な研究者の論文に至るまで、この「クール・ブリタニカ」という誤用が頻出しているのである。
では、こうした誤用がいつ頃から、どのような経緯で生じたのであろうか。その点を調べるために、Google にて特定の期間を指定して「クール・ブリタニカ」の検索を行ってみると、最も日付が早い資料として、1999年9月の某国会議員の演説が確認できた。この演説は、当時の与党の総裁選挙に向けての所信表明演説であり、けっしていい加減に作成された資料であるとは思えないのであるが、何故か「クール・ブリタニカ」と誤った記述がなされている。
また、「クール・ブリタニカ」というキーワードで新聞記事の検索を行ってみると、2001年8月の某大手新聞における与党(当時)国会議員へのインタビュー記事が、最初のものとして確認できる。
このように国会議員がらみの誤用が多いことが確認できたので、念のため国会会議録を検索してみると、「クール・ブリタニカ」に関する発言がある会議は、以下のように2001(平成13)年から04(平成16)年の特定の時期に集中していることがわかる。
| 回次 | 院名 | 会議名 | 号数 | 開会日付 |
| 151 | 参議院 | 国際問題に関する調査会 | 6号 | 平成13年4月18日 |
| 151 | 参議院 | 国際問題に関する調査会 | 7号 | 平成13年5月23日 |
| 154 | 参議院 | 決算委員会 | 閉9号 | 平成14年10月3日 |
| 156 | 衆議院 | 決算行政監視委員会 | 4号 | 平成15年5月7日 |
| 159 | 衆議院 | 本会議 | 2号 | 平成16年1月21日 |
| 159 | 衆議院 | 予算委員会第八分科会 | 1号 | 平成16年03月01日 |
(出典)国会会議録検索システム<http://kokkai.ndl.go.jp/>にて検索
一方で、政府の資料における表記はどうなっているのかを調べるため、「電子政府の総合窓口」(注3)において、「クール・ブリタニア」及び「クール・ブリタニカ」を検索してみると、正しい表記の「クール・ブリタニア」では8件、誤用の「クール・ブリタニカ」では実に正しい表記の二倍となる16件という検索結果となった。このような政府資料における「クール・ブリタニカ」という誤用は、2003年から始まっており、特定の省に集中していることが特徴となっている。
では、以上の結果から、われわれはどのような示唆を得るべきなのであろうか。
第一に、当然のことではあるが、政策の検討や決定においては正しい政策研究が必須である、ということである。「クール・ブリタニカ」という誤用は、親(原)資料を参照しないままに、子資料からの引用によって孫資料が作成されていることが原因であると推測される。今回取り上げたケースでは、単なる言葉の表記ミスで済んでいるようであるが、このような政策研究を続けていると、もっと致命的な事態が生じる懸念すらある。
第二としては、インターネットの普及によって、一つの誤用がまるでウイルスのように増殖していく、という点である。今回のケースでは、(1)永田町(国会議員)→(2)霞ヶ関(官僚)→(3)社会全体、というステップで、「クール・ブリタニカ」という誤用が増殖していったものと推測される。さらに、それぞれのプロセスにおいて、前者の方が後者に対してある種のパワーを有している、という力学関係が作用していることが、こうした誤用の増殖をさらに加速させた背景とも考えられる。
第三としては、情報コミュニケーションの不可逆性である。前述した力学とも関係するかもしれないが、あるパワースポットから誤ったまま発信された情報は、力学関係の川下から修整しようとしても極めて困難となってしまう、ということである。
こうした考察からいろいろな教訓を引き出すことができるであろうが、その一つとして、今後の政策の検討・決定に関する、よりオープンな研究や参加のプロセスが必要ではないか、という点であろう。拙文がこうした機運醸成の一つのきっかけになれば幸いである。
(注2)太下義之."英国の「クリエイティブ産業」政策に関する研究〜政策におけるクリエイティビティとデザイン〜".季刊 政策・経営研究,2009.<http://www.murc.jp/report/quarterly/200903/119.pdf>
(注3)<http://www.e-gov.go.jp/>