マネーを増やすという政策

2018/10/17

お札(さつ)を大量に刷ればデフレは一気に解消するという根深い誤解がある。確かに1万円札の印刷費用は1枚当たり20円程度だから、大量に印刷するのは容易だろう。

しかしお札は刷るだけではただの紙。世の中に出た時に初めて価値を持つ。個人が現金を手にするには、自らの預金を現金で引き出すしかないが、日銀がいくらお札を印刷しても個人の預金残高が増えたりはしない。換言すれば、世の中の現金の量を決めるのはあくまで我々預金者であって日銀ではないのだ。

日銀がひたすら増やしてきたマネタリーベースは我々の預金ではない。我々にとってのマネーとは預金に他ならないが、マネタリーベースがいくら増えても、預金が増える必然性はない。預金は銀行の信用創造(貸し出しや債券購入など)によって生み出されるものであり、ゼロ金利の下でマネタリーベースを増やしても、銀行の信用創造を促すことにはならないからだ。

デフレがマネタリーな現象だとしても、マネーが足りないことがデフレの原因ではない。わが国では、経済規模に比べればマネーはすでにあふれている。それが十分に動いていない(使われていない)ことこそが原因なのだ。

政府が目指す「貯蓄から投資へ」の流れも、銀行の信用創造を通じた資金供給を減らし、資金の需要者が市場から直接資金を調達するルートを拡大することによってこそ進むものだ。個人に預金を手放して株式や債券を購入することを促しても、証券の量自体が増えなければ、別の誰かと証券対預金の交換をしているにすぎないからだ。日銀が自ら国債や株式を購入することも間接金融であり、「貯蓄から投資」への流れにむしろ逆行するものだと言える。かくしてマネーを増やそうとする政策は行き詰まるばかりだ。

(2018年10月2日日本経済新聞・夕刊 『十字路』」より転載)

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