「秘すれば花」の効用

2017/10/05

600年前に書かれた世阿弥『花伝書』(風姿花伝)に「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」という言葉がある。お能見物に来た聴衆を感動させるには、常日頃からそれぞれの家に伝わる能の奥義を「秘事」としてしっかりと伝承すること、そして、その中身はできる限り秘密にしておくことが重要だという意味である。

もちろん、「秘事」を創り上げることは大変な習練がいる。例えば世阿弥は「鬼ばかりをよくせん者は、鬼の面白きところをも知るまじき」と言い、鬼の役だけうまく演じられる程度の者は、実はその鬼さえもうまく演じられない、他の芸もすべて完璧にこなせる人がたまに鬼の役をやって初めて「花」になれる、と警告している。また、「怒れる風体にせんときは、柔かなる心忘るべからず」(荒々しい芸を演じるときこそ柔らかな心を忘れてはならない)とも言っている。

このように、芸を極めること自体、大変な習練が必要なのだが、そうやって手に入れた芸の手の内を簡単に対外的に喧伝することなどもってのほかだ、と世阿弥は指摘しているのだ。つまり、世阿弥は「見せ方」が大切だと言いたいのである。「秘事」も見せてしまえば大したこともないと思われることが多いが、それを隠しておくことによって、たまにその片鱗が見えると、人の心に思いもよらぬ感動を与えることがある。これこそ、「秘すれば花」の効用だというわけだ。

この「秘事」を企業の「コア・コンピタンス」(競争力の源泉)と読み替えてみてはどうだろうか。企業は競争を勝ち抜くために、コア・コンピタンスを常に磨かねばならないが、そうやって磨いた競争力の中身を不必要に喧伝することは控えるべきだということになる。

このことは、企業経営の観点から見てもなかなか含蓄の深い言葉ではないだろうか。世の中は「デジタル化」が進み、仕事のプロセスをできる限り「見える化」することが経営合理化のためには不可欠だと言われる時代になった。経営の「透明性」や「情報開示」など、市場にオープンな会社がよい会社だという考え方も広く浸透している。この風潮からすると、世阿弥の「秘すれば花」の考え方は悪しき「秘密主義」ということになるのだろうか。

もちろん、そうではない。経営者にとって大事なのは、市場との付き合い方について明確な戦略を持つことだ。投資家から信頼されるガバナンス体制を整備する。市場が求める情報を積極的に開示し、透明性の高い会社という評価を得る。他方、企業の持続的成長に欠かせないコア・コンピタンスを「秘すれば花」の考えに沿って磨き続ける。こういった「二面戦略」こそが必要なのである。

世阿弥の「秘すれば花」と、何でもオープンにすべきだというデジタルな考え方。この一見矛盾する二つの考え方を両立させるには、「両者を別物と明確に認識したうえで、それぞれを徹底的に追求し実行に移すこと」が必要だろう。すなわち、コア・コンピタンスを「秘すれば花」として社内で磨き続けると同時に、市場からは、透明性の高い、オープンな会社と評価されるような体制を創りあげるのである。

一番まずいのは、「見える化」や「透明性」を追求するあまり、「秘すれば花」の効用を忘れてしまうことなのである。

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