「自然の逆襲」に立ち向かう

2018/06/07

人類(ホモ・サピエンス)が数万年かけてやってきたこと(人類文明史)のエッセンスは、「自然の克服」もしくは「自然の征服」だった。農業は自然の気まぐれにも耐えられる食料供給を可能にした。都市を作り、自然災害から身を守るすべも覚えた。抗生物質を開発し、寿命は飛躍的に延びた。自動車や飛行機、コンピュータという人工物を身の回りに配置することによって、生物としての人間が持つ様々な限界を突破した。このようにして、ホモ・サピエンスは数万年かけて自然を克服することに成功し、地球の征服者の地位を手にした。

しかし、21世紀を迎え、「自然の征服」に成功したかに見える人類に「自然の逆襲」とでも呼ぶべき兆候が見られるようになってきたのではないか。それはどういうことか。

世界最古の文学と言われる『ギルガメシュ叙事詩』(矢島文夫訳、ちくま学芸文庫)は、人間と自然のかかわりを描いた壮大な物語であるが、そのハイライトは主人公のギルガメシュが不老不死の薬草を探し求めて放浪するくだりだ。ギルガメシュは苦労の末、ついに不老不死の薬草を見つけるが、うかうかしているうちに蛇が現れてその薬草を食べてしまい、不老不死の望みは断たれてしまう。ここで物語は終わる。

しかし、21世紀の人類は違う。ゲノム編集、iPS細胞など、生命科学の飛躍的発展によって、人類が不老不死を手にする可能性が高まってきた。仮に、人間が「ヒトは必ず死ぬ」という自然の法則を克服することに成功したとしたら、人類文明はどうなるのだろうか。永久に死なないサイボーグ人間が登場した場合、それはもはや人間とは呼べないのではないか。もしそうだとすると、人間による「自然の克服」は、「自然の逆襲」を招き、ホモ・サピエンスの終わりを意味することになる。

世にいう「シンギュラリティ」についても事情は似ている。人間が自らの利便性のために発明したAI(人工知能)が、やがて人間の知能を凌駕するという話だ。もし、人間の知能を凌駕するAIが誕生すれば、人類の「地球の征服者」としての地位は維持できなくなる。これも「自然の逆襲」と呼べるだろう。

もっとわかりやすい「自然の逆襲」は、地球自体が異常気象によって人間に逆襲するという周知の話だ。産業革命以来、人間は大量の二酸化炭素を排出し、大気そのものを変質させてきた。その結果、地球温暖化、海面の上昇、生物多様性の激減、異常気象などが日常的となっている。このような状況に対しては、COP(気候変動枠組条約締約国会議)のような国際会議が開催されるなど、それなりの対策は実行されてきたが、それが「地球の逆襲」を阻止できるほど強力かどうかは極めて疑わしい。現代人は環境対策よりも、「持続的成長」の方により強く惹かれているからだ。

さらに最近、話題になっているのは、「人新世」という言葉だ。これは地質学的にみて、地球が今や新たな地質時代に入ったのではないかという議論である。プラスティック、アルミニウム、放射性物質などが大量に地表に累積し、それがこれまでとは異質の地質を形成しつつあるのではないかという指摘である。それが生態系に大きな影響を与え、やがて人類を壊滅させるかもしれないほどの非連続的な異常気象をもたらすと警告する地質学者もいる。これこそ、究極の「自然の逆襲」になるのだろうが、果たして、我々はあくなき成長欲求を自制し、さまざまな形をとって表れる「自然の逆襲」を阻止する知恵を持つことができるのだろうか。それこそが、これからの人類最大の課題になる。

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