ポスト・ウクライナの世界

2022/02/15

アメリカ側の報道とEU側の報道で依然温度差があるようですが、ウクライナを巡る軍事衝突の可能性が高まっていることは間違いなさそうです。現在日本ではさほどの切迫感が感じられません。でももし戦闘が始まれば、ガス、石油価格がさらに高騰します。くわえて、ウクライナの紛争後、中国が台湾に対してどういう行動を取るかが緊急な政治課題に浮上します。だから日本でも事の重大さが分かってくるはずです。

世界の動きをとらえる感覚も変化する。つまり、今後は国際的なビジネス関係を考える上で、「経済学的視点」が後退し、「地政学的、安全保障的」な視点が前面に出てくるはずです。それを感じさせる機会に最近遭遇しました。

2月8日、経済産業研究所(RIETI)は、11か国からなるCP-TPPの今後の発展を検討するオンラインのシンポジウムを開きました。これにはオーストラリア国立大学(ANU)が協力しています。オーストラリアは2018年にファーウェイを5Gネットワークから排除する決定を下してから中国と衝突し、中国から貿易制裁にあっていることはご存じだと思います。貿易に対する政治の干渉にどう対応するのか、オーストラリアはこの問題の矢面に立っているのです。

キーノートスピーカーだったシロー・アームストリングANU教授は、そもそもこの仕組みを立案したアメリカの構想、つまりTPPを「意識を共有する国々の集まり(grouping of like- minded countries)」にするという考え方に批判的です。この言葉は実際上、アメリカと政治上、経済上の哲学を共有する国だけが加盟を認められることを意味しますが、そのような仕組みにして、アメリカにだけ「特権」を認めるのは望ましくないと教授は考えるのです。そうではなくて大きな市場を作り、その市場を支配するべき透明なルールを経済学の知見に基づき作成する。その透明なルールを受け入れ、順守する国なら、どの国でも加盟できるようにするという理想論を教授は持っているのです。この理想論が成り立つなら、トランプ大統領の時代のアメリカの一方的な貿易行動も抑えることができるはずです。

しかしアームストロング教授の考えは、ロシアがウクライナに侵攻する危険が迫る現在の局面ではあまりに「楽観的」ではないか。出席者の多くがそう感じたようで、そのような質問が教授に集まりました。もちろんTPPについては、加盟の問題が出てくるのはロシアではなく、中国です。実際に中国は加盟申請をしています。

しかし申請を認めるか、どうかという決断を、「透明なルール」だけに基づいて行うことができるでしょうか。正当性のない産業補助金を政府が出しているか、といった特定の側面ならルールに基づいて判定できるでしょう。中国がオーストラリアに対して一方的に行った貿易制裁もルールの視点から取り上げることができます。もちろん、貿易制裁をやめない限り加盟は認められないと判定することもできる。しかし、中国が、はたして台湾に対して軍事行動を取るか、といった危険まで、「ルール」で洗い出すことができるでしょうか。

結局のところ、こうした中国の行動の地政学的な危険性までを考慮して加盟を判断するためには、CP-TPPが地政学的な方針について、確立した意見を持たなければならないと思われます。さらに踏み込めば、そもそも意見の確立を可能にさせるためには、この組織にリーダー国(複数または単数)がいて、それがこの組織の基本方針を決める必要があると思われます。そうです。結局、当初のアメリカの構想、TPPを「意識を共有する国々の集まり(grouping of like- minded countries)」にするという原点に戻らざるを得なくなるわけです。

アメリカがTPP構想を主導していた時代には、まさにこの通りの組織が目指されていました。もともとTPPは、中国を包囲するような形で自由経済圏を作り、その経済的恩恵を高めることで、自由貿易圏への加盟を目指して中国が、地政学的に「普通の国」になることも含め、徹底的に自己改革をすることを期待し、作られたものだったのです。それはまさに、アメリカが「ワシントン・コンセンサス」を今一度世界に広げることを狙って作られたものでした。

そのアメリカが脱退してリーダーレスになった。地政学的な課題が背景に引っ込み、サプライチェーンの充足など経済的課題が中心の時代だったら、それでもやっていけたでしょう。しかし、これからはポスト・ウクライナ時代に入る。CP-TPPは、地政学的な混沌も含めたアジア全体の状況を安定化する上では、役割が限定されるでしょう。

地政学的なコンセンサスを地域共同体内で作り上げるのは並大抵のことではありません。EUも結局それはできなかった。2014年のロシアのクリミア侵攻のあと、EUはロシアへの経済制裁を発動し、それは現在でも続いています。その一方でガスについてのロシアへの依存度を高め続けた。ドイツなどはガスの半分以上をロシアからの輸入で賄っているわけです。こういうチグハグは、防衛コンセンサスの欠如から生じていると思われます。

同じ混乱が、EU加盟国リトアニアが「台湾通商代表部」の設置を首都に認め、これに対して中国が貿易制裁した事件への対応にも見られます。中国は、リトアニア産部品を含有するあらゆるEU製品の自国への輸入を禁止したのです。当然、貿易については一枚岩であるはずのEUは、中国に対してブロックとして報復するべきです。ところが、それができない。ブロックとしての対応がまとめられないのです。

これでウクライナ紛争がエスカレートし、EUが経済制裁、それに対してロシアが経済制裁、という報復の応酬になったらどうなるか。もちろん、これは世界的なレベルの問題になります。ガス価格の高騰で日本も打撃を受けるでしょう。これまで一枚岩になる努力をしてきたEUでさえも、貿易政策で一枚岩になるのは難しいのですが、石油、ガスについての国際供給をどうするかについての、世界的なレベルの戦略といえば、それは皆無に近いのです。だから今後も、少なくとも一時的にガス、石油でロシア依存が高まることはあると思います。こうした課題全部を取り上げ、地政学的な観点も取り入れ、改善していくとなると、これは大変な作業になりますね。

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