ロシア政治の残虐性はどこから来るのか
ロシアがウクライナに侵攻してから3週間が経ちました。まだ光は見えません。戦闘停止までには時間がかかりそうです。その理由はロシア側の和戦のための条件、つまりロシアの「要求」が、相手が戦争において徹底的な敗北を喫したときにのみ、相手に押し付けることが可能な性質のものだからです。ロシアはウクライナの領地を要求しているわけではありませんが、Sovereignty(主権)を要求しているのです。何の落ち度もないのに、いきなり「主権」を受け渡せ、さもなければミサイルを撃ち込むと脅されたウクライナ国民は不幸です。
戦闘行為の停止に漕ぎつけるのにはまだ時間がかかりそうですが、非戦闘員(女性、子供、高齢者)の安全な避難を可能にする「人道回廊」だけは確保されるべきです。ここでもようやく最近進展が見られましたが、当初ロシアが提案したのは、非戦闘員をロシア領内へと導く「人道回廊」でした。それ以外は認めないというのです。
なぜ、ロシア領内でなければいけないのか?意図はどこにあるのか?疲弊しきったウクライナ難民を、ロシア軍が温かく迎え入れる情景を映像で示すことでロシア軍の「人道的行為」をアピールするプロパガンダというコメントがありました。ロシア上層部なら、いかにも考えそうなことです。さらに、占領した地域にいるウクライナ国民をほかの地域に移住させ、代わりにロシアから住民を移入させる「植民政策」というコメントもありました。
これには驚きました。実は、いまロシア史、ウクライナ史をにわか勉強しているのですが、これと似たような過去の話がたくさんあるのです。
たとえばモスクワ公国のイワン四世(The Terrible)が、自由な政治形態を誇っていた都市国家ノブゴロド市を1570年に攻略した時がそうでした。攻略後に皇帝はThe Terribleという後世のあだ名にふさわしい大虐殺を行いましたが、それでも生き残ったノブゴロド市民は、ほかの地域に移住させ、そのあとにモスクワ公国の住民を移入させたのです。今回のウクライナの「人道回廊」の話を聞いて、ロシアでは戦略的発想も、残虐性も、中世から変わらないことに正直驚いたのです。
なぜ、そうなのか。なぜ、ロシアでは、人命や人権を大切にする民主的な政治が育たなかったのか。これについて一番納得のいく説明は、アメリカにおけるロシア史の大家、リチャード・パイプス(1923-2018)の考えだと思います。ロシアには「封建時代」がなかった、それが根本の理由だというのです。
9世紀から11世紀にかけて確立した西ヨーロッパの封建制システムの鍵となるのは、「臣下の誓い」でした。それは主従の間のPersonal Contractを意味します。従者は主に対する特定の義務を果たさなければなりませんが、同時に主も従者に対する特定な義務を果たさなければならない。つまり、相互的な契約だったのです。しかもそれは自由な契約でもあった。主が義務を果たさない場合には、従者は契約を解除することができたからです。
その個人的で、相互的な契約をバックアップする経済的な裏付けがFIEF(封土)でした。FIEFの「所有権」を従者は封建契約によって保証されます。FIEFの所有権が保証されていたために、主はみだりに従者に「小作料」、「地代」を要求することができませんでした。つまり土地の所有権は、同時に従者の「自由」の保証ともなったのです。
それでも従者と主の間でいさかい、とくに土地についてのいさかいが起こった場合、それは第三者機関で調停されました。この透明で第三者的なメカニズムによる調停こそが、近代の西欧の「司法制度」の源泉になり、それが幅広いケースに適用されるにいたって、原則を決めるための「議会制度」が生まれてきた、とパイプスは述べます。
ロシアではこのような封建制度は発生しませんでした。ロシア皇帝は全領土の所有者であり、同時に人間に対する絶対的な命令権を持っていたのです。そこでは皇帝の「所有権」と「行政権」の分離は起こらなかった。原理的には、人も、土地も、すべてが皇帝の所有物だったのです。ロシア革命後の統制の仕組みも基本的には同じ原理だというのです。
歴史や伝統が現代社会を束縛する力の強さを改めて感じます。しかし、これはロシア国民自身が自由を享受する方法を知らず、専制に生活を委ねる本性を持つということではありません。ロシアでも、啓蒙君主エカテリーナ女帝(二世 在位1762-1796)から、その孫でナポレオンを破ったアレクサンドル一世(在位1801-1825)を経て、1861年に農奴解放を実現したアレクサンドル二世(在位1855-1881)にいたる、国民の権利と自由を尊重する改革派の皇帝が続いた時期がありました。
その時期のロシア文化の盛り上がりは素晴らしかったのです。まるで憑依されたように、人類史に残る偉大な芸術が次々と誕生していったのです。これから考えて、もしいつか、ロシアでも個人の自由を保証できる政治体制を作ることが可能になったら、ロシア国民の持つ創造力はすさまじい勢いで発揮されるだろうと思っています。
ロシアの指導者は天然ガスに依存するというケチな考えを捨て、国民の持つポテンシャルを発掘するというはるかに有望な計画に、なぜ乗り出さないのか、不思議でしょうがありません。
アレクサンドル二世が暗殺された1881年は、ドストエフスキーが死亡した年でもありました。ドストエフスキーの文学は、自由な政治風土がなければ、創作も、発表も不可能だったでしょうが、ドストエフスキー自身は、むしろ当時の社会の自由の行き過ぎを懸念し、改革には反対だったのです。自由化のもとで表れてきた社会の亀裂、貪欲、強欲、あらゆるエゴの壮絶な噴出に、この作家は危機を感じたのだと思います。
プーチン大統領の言動に強烈に表出されているエゴと所有欲、それは巧妙に仕立てられた「民営化」という詐欺行為によって、ロシア国民の重要な資産であるエネルギーを手中に収めてしまった腐敗したオリガルヒーによって彼が支えられていることと無関係ではありえません。中世的残虐性と現代資本主義の最悪の貪欲性の結合。いまはロシアの持つ悪いものがすべて結集されて表面化している時期なのでしょう。
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