パンか、自由か

2022/04/12

「理事長のコラム」を毎月一回書かせていただいていますが、前回のコラムでロシアの文豪で、世界史上で最も重要な作家の一人であるフョードル・ドストエフスキーが、19世にロシアで進められていた政治自由化に反対していたことを書きました。実は、このことがずっと気になっていたのです。というのは、ドストエフスキーの自由化反対はかなり筋金入りだからです。

1881年のアレクサンドルII世の暗殺後に、政治改革路線が後継皇帝のアレクサンドルIII世に引き継がれることが阻止されたのは、超保守派のロシア正教政務会(Holy Synod)長官コンスタンチン・ポベドノスツェフの影響力によるものと評価されています。ドストエフスキーはポベドノスツェフの親友でした。最後の傑作「カラマーゾフの兄弟」を書いている時に、大作家は書きかけの原稿をポベドノスツェフに幾度も見せ、とくに名高い「大審問官」の場面について二人は深く議論をしたということです。

ということは、政治自由化にドストエフスキーが反対した理由を探るためには「カラマーゾフの兄弟」、とくに「大審問官」の場面が鍵になるのではないか。そう考えて、私はロシア軍のウクライナ侵攻が始まってから、「カラマーゾフの兄弟」を読み直しました。

そうした中で、この問題に光を当てる格好の論説に出会ったのです。1991年のソ連邦解体が差し迫った時期、当時ソ連大統領という肩書だったゴルバチョフ氏が一番信頼していた補佐官がいました。ゲオルギー・シャフナザーロフです。彼は日本の新聞にも頻繁に寄稿していて、とくに読売新聞と結びつきが強かったのです。

その彼が1993年4月5日に、読売の「地球を読む」というコラムに寄稿した文章に、「大審問官」のことが出てきます。私はこれを読んで、ドストエフスキーの思想がロシアにおける現実の政治とどのように関わっているのかがよく分かりました。「カラマーゾフの兄弟」を読んだことがない方にも、この論説はよい紹介になると思いますので、かなり長々引用いたします。「混迷ロシア 正常な統治の欠如」というタイトルの論説です。

「ドストエフスキーは小説「カラマーゾフの兄弟」の中の『大審問官』をめぐる劇詩で、人類文明の幕開け以来、哲学論争の的になってきた問題をきわめて先鋭な形で取り上げている。それは、個人の自由と地上の現実のうち、いずれが人間にとって重要な価値を持つか、という問題である。これをいささか単純化するなら、この論争を以下のような二つの両極端の考え方に絞ることができよう。

一つの考え方は、次のような、妥協の余地を残さない誇り高い表現で言い表される。いわく、ひざまずいて生きるよりは、真っすぐ立ったまま死んだほうがよい。もう一つは、『大審問官』が代表する次のような考え方だ。いわく、もし人々が自由を与えられて、やがて食うものもなくなれば、主人のもとに戻ってきて、こう言うだろう。『飢えて今にも死のうとしているのに、自由がなんの役に立ちましょう。どうぞ、自由の代わりに毎日のパンを恵んでください』

この『大審問官』の考え方は一体何だろうか。シニシズム(冷笑的態度)か。現実主義か。それとも人間不信か。あるいは逆に、人間性への深遠な理解を表すものだろうか。いずれにせよ、これは抽象的な哲学の問題ではない。これは現在、ロシアや他の旧ソ連諸共和国、さらには東欧や中南米の一部諸国――いずれも民主化と西側型の市場経済の形成に乗り出している――で実際に起きている事態に直接関係する問題なのである。

昨年初め、ロシア指導部は急進的な経済改革に着手するに当たって、国民にこう約束した。価格が二、三倍は上がるとしても、短期間のことに過ぎない。わずか数か月も辛抱すればすむ。秋までには生産低下は止まり、強力な市場メカニズムが効果を現し、生活水準は上昇するだろう。」

この後に、シャフナザーロフは93年4月頃のロシア経済の大混乱、特にインフレの問題を生々しく描写します。それらはすべて、急進的な経済改革が失敗し、統治機構が機能喪失したことが原因で起こったのです。

「一年後、価格は数百倍、商品によっては数千倍も上がっていた。生産は低下を続けている。改革のおかげで豊かになったのは人口の5%に過ぎない。経済専門家の分析によると、人口の五分の四は貧困ライン以下に落ちている。あらゆるサービスは悪化、それも大幅に悪化した。これまでは人々は空路や鉄道でいくらでも旅行できた。今では切符代が急上昇したため、大多数の人々には手が届かなくなっている。わが国では医療は無料だったが、今では入院は有料だし、手術となると数万ルーブルもかかる。今までは、入学試験さえ通れば、だれでも大学に入れた。だが今では、進学できるのはエリートだけだ。なぜなら、授業料を要求する大学がますます増えてきたからだ。」

まさに、社会主義の弊害である硬直性を残したままの状態に、資本主義の「貪欲」という悪い要素だけが付け加わり、当時の経済はロシア国民に不幸をもたらしていたのだと思います。シャフナザーロフの論説は厳しい警告で終わりますが、いま、これを読むと、本当に背筋が寒くなります。

「今後数か月中に経済情勢に転機が訪れず、たれこめた空に少なくとも一条の光がさしてこない限り、たとえ以前の経済モデルへの復帰を呼び掛けないまでも、少なくとも『改革の凍結』を要求する党派の方に有権者が大挙してなだれ込む事態が起こりかねない。一部の専門家は、この状況が1930年代のドイツ情勢にある程度似ていることを指摘して、ファシズムが生じる恐れがあると警告する。それはまず起こり得ないことだが、権威主義体制の再生、いわば文字通りの『鉄の腕』によって統治される超集権的体制の復活もありえないとは言い切れない。」

ドストエフスキーの「大審問官」が突きつける問題、「パンか自由かの選択」はもちろん普遍的な問題です。いや、それがまさに普遍的な問題であると納得させるような出来事が、この原稿を書いている4月11日に起こりました。フランスの大統領選の第一ラウンドの結果です。前回に続いてふたたび、マクロン大統領とルペン候補が第二ラウンドに進むことになったのですが、現在の政治状況や投票結果などから考えると、今回は前回よりも接戦になると予想されています。

特筆するべきなのは、ウクライナ戦争が今回のフランス大統領選に与えた影響です。ルペン候補はこの戦争に伴う「生活費の高騰」を選挙テーマに取り上げたことで、当初は絶対不利だと見られていた状況を大挽回したのです。「ロシアに対する経済制裁によって、一般のフランス国民が苦しめられることがあってはならない」というのが、ルペン候補が提示する強力なテーマです。第二回の選挙はこのテーマを巡って戦われると見られています。

ウクライナ戦争の余波が秋まで続いていたなら、11月の米中間選挙も、「パンか、自由か」の選択が柱になるのではないでしょうか。

やはりドストエフスキーは慧眼でした。

お問い合わせはこちら

テーマ・タグから見つける

テーマを選択いただくと、該当するタグが表示され、レポート・コラムを絞り込むことができます。