ショルツ独首相が受け取った2通の手紙
日本でのウクライナ戦争の認識は、報道番組での取り扱いがトップニュースから、国内での悲惨な事故の報道の後の二番手に変わったこともあり、戦争が長丁場になり、当面は「退屈」な展開に入ったというものではないでしょうか。5月6日のニューヨークタイムズ、トーマス・フリードマンのエッセーによれば、アメリカでも、そう言う印象が強くなっているようです。
しかし、フリードマンも述べているように、実際はそうではないのです。最近、日経がフィナンシャル・タイムズのエドワード・ルースの論説を翻訳し、掲載していましたが、彼の論説の書き出しにあるように、「事情をよく知るものは多くを語らず、知らないものだけが多くを語る」状況になってきているのです。戦争のエスカレーションの危険が高まり、事情を知るものは言葉が出にくい状況ということです。
戦場からさほど離れていない国では、この戦争にどう対応するかについての激論が巻き起こっています。たとえばドイツがそうです。
5月4日のフランクフルターアルゲマイネ紙に興味深い記事が載っています。オラフ・ショルツ独首相のもとに、数多くの文化人の共同によるオープンレター(発行者が名前を記し、文面を一般公開し、一般の支持を求める文書)が届けられた。しかもそれは2通ある。
いずれも「核戦争へのエスカレーションを回避するための方策」を提案している。
しかしオープンレターのAは、この目的のために、「ドイツ政府によるウクライナへの戦車など重兵器の提供を即時停止する」ように求めている。
それに対して。オープンレターのBは、この目的のために「ドイツ政府によるウクライナへの戦車など重兵器の提供を即時実行するように求めている」というのです。
どちらのレターでも、名を連ねているのは、軍事専門家よりは、文化人、フェミニスト、政治家といった人々のようですが、オープンレターAの内容は簡単です。次の箇所に要約されていると思います。
「われわれはロシアの攻撃が、国民の権利についての基本的原則の侵害であるという判定に同意いたします。また一方的に攻撃を加える勢力に対して、対抗することなく引き下がるべきではないという、原則としての政治的、道義的な義務が存在するということにも同意いたします。しかしながらそれによって導かれる行動には、政治哲学の別の要請に基づく制約条件が存在します。
われわれの考えでは、その制約条件の少なくとも二つのものに現在到達しました、一つは、現在の戦争が核による衝突にエスカレートしていく明白な危険は回避しなければならないという制約条件です。ウクライナに対して、大量の重兵器を提供することによって、ドイツ自身が戦争の当事者になります。これを受けてロシアがドイツに反撃した場合、NATOの第5条の規定により、紛争は直ちに世界戦争へとつながります。第二は、ウクライナ国民が経験している破壊と苦痛の度を越えた大きさです。攻撃勢力への正当な防衛といえども、計り知れない災害につながる危険があります。」
レターAの議論は簡単ですが、この考えに近いものとして、4月28日の南ドイツ新聞に間もなく93歳になる大哲学者、ユルゲン・ハーバーマスが寄稿した文章があります。5月6日に読売に出した拙稿でこれを取り上げました。その部分を引用しましょう。
「『われわれはウクライナが敗北するか、限定された戦争が第三次世界大戦に拡大するかという二つの悪の間での選択を迫られている。冷戦からわれわれが学んだ教訓は、核大国に対しては、戦闘行為による勝利は不可能で、双方が面目を保てるような妥協策だけが選択肢ということだ』
西側の対露制裁がさらに進んだ場合、核兵器を使用するかの『境界線』を決めるのは、国民の意思を無視して独断で行動するプーチン大統領だ。そのため現状は巨大な不確実性に包まれており、慎重かつ熟慮を重ねた上での行動が必要、という氏の意見には、ロシアに主導権を認めるものとしてドイツ国内での反発も強い。しかし、まったくの正論だ。
核大国の独裁者に世界を勝手に支配されないためには不確実性の領域に踏み込まざるを得ないが、双方にプラスとなる妥協点をつねに模索する冷静な思考は不可欠。制御不能なエスカレーションを回避するため、相手との交渉のパイプも堅持するべきだ。」
以上が、読売の拙稿からの引用です。
それで、「核戦争を回避するために、ウクライナに即座に戦車を含めた重兵器を提供せよ」というレターBのほうです。こちらのほうは、軍事、外交に詳しい知識人を含むのか、より長く、より論理的な検討をしています。
次の引用箇所で、基本的な考えは分かるのではないでしょうか。
「ロシアによる攻撃が成功を収めることを防ぐのは、ドイツの国益と合致します。欧州の平和的秩序を乱すもの、国民の権利を足で踏みにじるもの、大量の戦争犯罪を冒すものが、戦場における勝利者であってはなりません。独立国家としてのウクライナを抹消することこそが、戦争目的であることをプーチン大統領は明言しています。(中略)
ウクライナに対するロシアの攻撃は、欧州の安全保障への攻撃でもあります。この戦争に先立って提示された『欧州新秩序』の要求に、ロシアの考えは明瞭に表れています。もしも、プーチン流の武力による修正主義(レヴィジョニスム)がウクライナで成功を収めた暁には、次の戦争はNATO加盟国の領域で発生することになるでしょう。しかも、もしも核大国が、自己の持つ核兵器を、国際的な安全保障に対して使用することによって独立国を攻撃し、それでも制裁を受けないで済むことになったなら、核兵器拡散防止条約への重大な打撃となることでしょう。
ロシアの指導者が恐れているものは、NATOによる想像上の脅威ではありません。そうではなく、隣国における民主主義に向けた動きの活発化を恐れているのです。(中略)
核戦争勃発の脅しはロシアの心理作戦の一旦です。だからと言って、われわれはそれを軽々しく見過ごすわけではありません。どのような戦争もエスカレーションへの危険を内包しているものです。しかし核戦争の危険は、ロシアの指導者をますます冒険主義に駆り立てるような『妥協』によっては抹消できません。もし西側がウクライナへの通常兵器の供与をためらい、それによってロシアの威圧に屈するならば、ロシアの指導部は付け上がり、ますます冒険的な行動を取るでしょう。それゆえ核戦争へのエスカレーションの危険は、信憑性の高いこちら側からの威嚇を用いることで抹消しなければなりません。このことは、過去のドイツが求めてきた融和の道ではなく、欧州、西側と一丸となった強い覚悟での対応を要求します。
しかしながら、ロシアとの直接の軍事的介入は避けるべきというのは賢明な考えです。だからといって、それはウクライナが自由と独立を守ろうとする行動が、われわれと関わりのない問題ではないと言うことを意味しませんし、そうであるべきではありません。それはドイツの『過去は繰り返さない』という決意がどれだけ真剣であるかの試金石でもあります。」
これからG7の声明などからも明確になることだと思いますが、現実のドイツ政府の行動はオープンレターBの考えに近いものです。
この考え方を認めたとしても、どうしても気になることがあります。「西側の戦争への直接介入は避けるべきだ」というのが賢明な方針であることは、レターBも認めています。それなのに、西側の実際の行動はますます直接介入に近づいているのです。冒頭に上げたトーマス・フリードマンの論説の一番の懸念点も、それでした。
「戦場でロシア軍の将軍を殺傷することにつながった情報」、「ロシア戦艦の撃沈につながった情報」は、実はアメリカ軍がもたらしていた。この事実を米軍部が不用意にリークして、それが情報として世界に広まっているのです。アメリカの事実上の「参戦」を、ロシア側に疑われてもおかしくないような状況が生み出されています。しかも原因は情報管理ミスです。
現状では、ロシアはウクライナとの戦争に精一杯で、西側とまで軍事衝突を拡大する余裕を持てない。そのため西側がウクライナに対する軍事支援を積極的に拡大することも可能だという報道も目にしました。ロシアが勝利を目指してウクライナに対する戦争に集中している限りは、戦争が西側を巻き込むものにはならないのかもしれません。そうであっても、今後、戦争のエスカレーションについては、最大限の注意と、最大限の抑制努力が必要だと感じています。
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