11月の中間選挙と南北戦争の追憶
中間選挙というのは、国民が政府に対する「苦言」を提示する機会と考えられているために、民主党政権であれ、共和党政権であれ、政権にとって厳しい結果が生まれることが多いものです。民主党が上院の過半数を確保した今回の中間選挙は、バイデン政権にとって予想外の好結果と評価されています。それだけでなく、選挙結果を深堀すると、今回の中間選挙がアメリカの政治そのものを「正常」な方向に戻すきっかけになったという楽観的な希望が生まれてきます。
とくにアメリカのマスコミが注目するのは、上下院選挙と同時に行われた州知事選挙です。ここでは、「2020年の大統領選挙ではトランプ大統領は勝利を不正に奪われた」と主張する、いわゆるDenierの立場の共和党候補が、ことごとく敗れました。
今回の選挙結果の判明に異例の時間がかかっているのは、郵便投票が多いからです。ここ数年コロナの蔓延があったため、アメリカにおいては郵便投票に対する規制が大幅に緩和されました。民主党の重要な支持基盤である黒人層は、選挙日の火曜に仕事を休めない職に就いている場合が多いので、郵便投票を好んで利用します。郵便投票の集計には時間がかかるため、その部分の発表が遅れる。しかし、集計が進むにつれて民主党に投じられた黒人票が発表され、民主党は有利になってくる。
この傾向は2020年の大統領選でも明確にみられました。開票日に有利な立場にいたトランプ候補が、日が経つにつれて劣勢になっていたのですが、今回の中間選挙でも時間とともに民主党が有利になっています。この現象を、共和党のトランプ派につく政治家は「勝利が奪われる」と表現するわけです。実際は郵便投票のカウントが遅れるだけの話で、奪われるわけではないのですが、トランプ派の真意は郵便投票の規制を大幅に強化して、黒人票を減少させることなのでしょう。
最近のアメリカの選挙において、このように投票方法についての決定は重要な意味を持ちます。その点で、先ほどのDenierの立場の共和党候補が知事選で敗れたことが重要です。2024年の大統領選に向けて、きわめて重要な結果と言えると思います。なぜなら郵便投票結果の承認などをする権限は、各州の州務長官にある場合が多いのですが、州務長官は州知事による任命か、公選で決まるからです。それゆえDenierの州知事の落選は郵便投票への道を大きく開きます。また公選で決める州でも、州務長官候補でDenierの立場の者はほとんど落選したと伝えられています。
アメリカの政治が「正常」に戻りつつあるという展開に心を強くしましたので、今日はアメリカの歴史上、最も重要な出来事の一つに触れてみたいと思います。アメリカ人が「The Civil War (内戦)」と表現するもの、つまり南北戦争です。ざっとWEBの検索をして出てきた数字なのですが、この戦争での死者数は民間人を入れると70-90万人、これまでアメリカが戦争で記録した死者数の最大のものということです。
19世紀において、これだけの死者を生み出す壮絶な「内戦」が、欧米の主要国で行われたというのは驚きです。もちろん、中国の「太平天国の乱」などを内戦と捉えれば、死者数は遥かに多いのでしょうし、20世紀になってからの中国の内乱による死者数は歴史上の記録でしょう。
そうではあっても、死者数から見れば、これほど悲惨な内戦が19世紀に欧米の国で行われたというのは驚異的に思えます。私は、慶応大学で19世紀からの日本と世界との関わりをテーマにした英語の授業を今も行っています。この間、ヨーロッパの学生に19世紀に4年間も「内戦」を、しかも総力戦を行うなどということが、君たちの国で考えられるか、と聞いたのですが、イタリア人の学生も、フランス人の学生も、「考えられない」と言っていました。それほどの内戦をするくらいなら、地方自治を強めた一国二制度のような仕組みに落とし処を求めると彼らは言います。私も恐らく、その通りだと思います。
では、なぜ、アメリカはこれほどの内戦を強行したのか。アメリカも、各州の権限を認めている国です。今や、女性の妊娠中絶の権利が州ごとに違うという可能性に直面しています。しかし、「連邦制」という根本的な仕組みについて、複数の選択は認めらないという強い願望が国民にあったのです。
われわれ日本人は小中学校で、「南北戦争は奴隷解放のために行われた」という簡略化された説明を受けます。しかし、問題の根本は、「奴隷制度を認めるかどうかが州の選択に任され、奴隷制を認める州は連邦(Union)からの離脱を認めてもらおうとする政治的な動きがあった」ということなのです。その政治的な動きを1860年の大統領選に勝利したリンカーンは絶対、認めなかった。それで南部が軍事行動に出たというわけです。
私の授業では、リンカーンの優れた伝記を書いたフィリップ・パルーダンの論文を説明に用いました。1974年に発表された論文です。書かれた時期が今とは状況が違いますし、煩雑かもしれませんが、好きな論文なので数か所引用します。
まず、著者はアメリカ人の公民観念の基本に、「セルフ・ルール」があると指摘します。
「合衆国政府(UNION)の存続と地方政府との連携において最も重要な点は、次の事実である。地方政府とは、行政的な必要性に留まらなかった。それはアメリカという国家の基本的な性格なのである。この国は『セルフ・ルール』の理念の下で成立し、それを確保する目的で革命(独立戦争)を行い、この理念を尊重する『憲法』を創造したのだ。アメリカ国民は、『セルフ・ガバメント』の制度を確立するために、この国の理念を承認し、その実体を賦与した。」
セルフ・ルールが実際に機能するのは、国民それぞれが住む地方での自治についてです。しかし、国民一人一人は、それがその地方だけの問題ではなく、大きな連邦という全体の枠組みが存在し、その全体の枠組みが具体的に機能するために、その場、その場での、セルフ・ルールに従った自治のための行動がとられるべきなのだと考えている。そう、この著者は説明します。
「好んで、移住を頻繁に行うことが証明するように、アメリカ国民は『場所』に対する愛着心を持たない。彼らは土地に対する執着心がない。土地投機が頻発することが証明するように、土地とは『不動産』にしか過ぎない。彼らを『アメリカ人』たらせるものは、どこに行こうと自分自身で統治しようとすることなのだ。スコットランド人、アレクサンダー・マッケイは、このことを見事な直観力で見て取った。『この国民の性質を際立たせるものは』と彼は言う。『制度や仕組みに対する心からの愛着心なのだ』
欧州人たちは、彼らやその祖先たちが何世紀にもわたり居住してきた土地を愛する。『しかし、アメリカ人たちは欧州人たちに特徴的な地域に対する愛着を、わずかばかりか、あるいはまったく示さない。彼らの愛情は、国そのものよりも、彼らが関係する社会的、政治的な『システム』の方に向けられている』
欧州人たちは、自分が生まれた場所から長い期間離れなければならなくなると不幸になる。『しかしアメリカ人に彼の親しんだ社会の仕組みを与えるならば、彼らは自分がどこに住んでいるかをほとんど気にしなくなる』」
ここのところを読んだとき、私は「マクドナルド」のハンバーガーを思い出しました。世界のどこに行っても、同じ規格で同じ味のハンバーガーが食べられる。そのことを求めるのはアメリカ人だけなのだな、と。私は今年66歳ですが、私が学生時代(40年以上も前!)に最初に会って話したアメリカ人は、軍隊で日本に駐留した経験があるといった方が多く、実際、マクドナルドを求めるタイプが多かった気がします。学歴もカレッジ止まりとか。
こういう人たちは、二言目には「なぜ、日本はアメリカのこの仕組みをまねないんだ」といったものです。
いま、日本に来ているアメリカ人とはまったく別でしょう。会社員でも、マッキンゼーとか、ゴールドマンサックスとかに勤め、日本の大学に来るのも、ハーバードとか、スタンフォードとか、一流の学校で、しかも大学院を目指す人たちです。彼らはマクドナルドなど求めない。「良い鮨屋を教えてくれ」と、いきなり来ます。
パルーダンの論文の続きです。
「マッケイは、ニュー・イングランドのような地域においては、地元意識が強いことを認めているが、彼が驚愕するのは、『彼の地のアメリカ人が、いかに容易に、他の土地への移住を決断する、とくにそれが「北部同盟=連邦政府」に所属している地域の場合なら』ということだった。『その土地に北部同盟の国旗が翻っており、共和党の仕組みをその地域に持ち込めるというだけで彼には十分なのだ』」
つまり、共通の制度への愛着心が北部の人間を「内戦=国の分裂の危機」に際して、武器を取ることを促したというのです。
「戦火が広がる中で、アンドリュー・プレストン・ピーボディは『セルフ・ガバメント』が愛国的な市民を作り出す様子に印象付けられる。法を自ら作り出した人々は、法そのものとそれが維持されることに責任を感じるのである。
『自分自身の中に主権の一部が内在する人間は、男らしくふるまうことすら忘れかねない日常生活の多くの局面で、国王のごとき気高い精神をつねに心に抱き続けることができる』
戦争への熱意を呼びかけながら、ジェームス・ラッセル・ローウェルはこう発言する。『我々の憲法は、我々の忠誠心を要請する。なぜなら、それは法と秩序に他ならないだからだ』
北部人たちは、この法と秩序に対する義務を忘れなかった。外国の観察者は、世界で最も中央政府の力が弱い政府で、しかも分離的な要素が強い国家において、国の統一を堅持するための兵士をなぜこんな簡単に見つけることができるかを訝るだろう。しかし、この国の本質を知っている者には、それは驚きではなかった。」
ここまでにします。1974年に書かれたこの論文が示すアメリカ人のモデルは、とっくに失われたものかもしれません。アメリカ人が命を賭して守ろうとした「法と秩序」の概念、それも失われてしまったのかもしれません。
しかし、今回の中間選挙を通じ、私は少し希望を持つようになりました。バイデン大統領の行動を、これまではひやひやして眺めてきたのですが、80歳になる彼の良さというのは、彼が「鮨」ではなく、「マクドナルド」に親しんできた世代のアメリカ人だからではないか、と最近思えてきたのです。ウクライナの戦争でも一番一貫した、筋の通った態度でロシアに対峙しているのは、ヨーロッパではなく、アメリカです。
それにしても、「自分自身の中に主権の一部が内在する人間は、男らしくふるまうことすら忘れかねない日常生活の多くの局面で、国王のごとき気高い精神をつねに心に抱き続けることができる」という言葉はよいですね。土地に愛着心を持たず、一貫した原則を求めると言うのは、ビジネスに挑むアメリカ人の態度でもあると思います。アメリカ人は、一つの会社に長々と居続けることを求めない。その代わり、自分のセルフ・ルールの信念が生かせる職場なら、どこにでも赴く。勉強になる言葉です。
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