これは普通の景気後退ではない

2022/12/14

IMFでの経歴からスタートして、主要な金融機関での投資責任者を務めたモハメッド・エラリアンは、国際金融、経済の節目を観察する能力に優れたエコノミストとして定評があります。彼は11月に米フォーリン・アフェアーズ誌に、「これはいつもの単なる景気後退ではない(Not Just Another Recession)」というタイトルの論説を発表しました。その基本的な考え方に全面的に賛成します。

多くの機関が出している直近の景気予測が、通常の景気循環モデルに基づいていることを彼は鋭く批判しています。今後のいくつもの景気循環にまたがるような「根本的変化」が起こっている事実が、そこでは見落とされているからというのです。エラリアンによれば、根本的変化は3つあります。

第一は、世界的マクロ経済が、「需要が不十分な環境」から「供給が不十分な環境」に移ったこと。

第二は、これまでのように緩和的な金融政策によって、財政と金融システムの危険が顕在化するのを防ぐことが不可能になったこと。

第三は、長く続いた低金利時代に、より高い収益を求めて金融セクターがリスクの高い投資を追い求めたことによって、金融セクターが国際的に脆弱になっていること。

この2番目と3番目の問題が重なった結果がはっきりと表れたのは、トラス前英国首相が、わずか49日という史上最短の任期で首相を辞任することにつながった、英国財政へのショックです。首相就任前、彼女は現スナーク英首相が蔵相時代に掲げた法人税増税にも反対していましたが、首相となると、財源を明示しない減税策をMini budgetとして発表しました。

イングランド銀行が緩和政策を進めていた時期ならば、さほど大きな問題は起こらなかったのでしょうが、10%近いインフレに直面して、イングランド銀行はすでに大幅な引き締めに金融政策を転換しています。そのために英国国債の金利高騰が生まれ、その混乱はトラス首相辞任と保守的な考えのスナーク首相就任が決まるまで続いたのです。

中央銀行の助け舟がない中での拡張政策を市場にいかに嫌うか、その証拠と言えますが、それにしてもG7でも中心的立場の英国の国債が、途上国の国債並みの不安定を示したのは印象的でした。エラリアンは金融政策の環境が根本的に変化した以上、このような不測の事態は今後頻発するだろうと論説で述べています。

これまでの低インフレの環境から、高インフレの環境へと世界経済が変化したこと。それが引き締めへの金融政策の方針変化も促したのですが、なぜ、高インフレ環境に変わったのか。その点を考えると、単なる普通の景気循環ではない、裏に中長期的な要因を伴った構造変化が起こっていることが分かります。つまり、世界経済は需要不足型から供給不足型に変化したのです。この変化は、今後当分、ひょっとしたら10年単位で続くのではないでしょうか。

今年になって、世界経済が供給不足型に変わった様相がはっきりした事情は、先行きを考えるうえで一番重要な点ですので、自分なりにまとめたいと思います。インフレ率の上昇という形での供給不足型への変化のきっかけは、たしかに2021年にも見られました。コロナ感染が収束する中で、需要が復活する一方で、供給は人手不足やサプライチェーンの分断があってなかなか元に戻りませんでした。加えて、主要国、とくにアメリカの政府が、大型景気対策を実施したために品不足の状態が起こったのです。しかし、これだけだったら、この状態は短期で終わったでしょう。

状況がさらに変化したのは今年です。ウクライナ戦争は変化をもたらした最大の要因と言えますが、この戦争によって、供給側の様々な問題が浮き彫りにされ、そうした問題が加わって、長期的で、複雑な供給のボトルネックが経済にのしかかってきたのです。ここでは二つの要因を取り上げましょう。

第一の要因は、エネルギー問題です。ウクライナ戦争は、西側、とくに大陸欧州のロシアのエネルギーへの過剰依存を明らかにしました。そこからの脱却を図るために、欧州は新エネルギー生産を加速せねばならず、事実、加速するための計画を多くの政府が打ち出しました。脱炭素宣言のシナリオと比べて、現実の新エネの促進が遅れている、とくに途上国における遅れが問題なことも、この時に明らかになったのです。

しかし、問題はそれだけに留まりませんでした。脱炭素宣言に基づく様々な民間の取り組み、SDGsに向けた投資の促進等が新エネへの追い風となったのは明らかですが、同時にそれは化石燃料への投資を落ち込ませ、新エネがエネルギー源の中心となると予定されている2030年代までは、エネルギーの供給ギャップが生じる見通しが明らかになってきたのです。エネルギーを武器にして西側を揺さぶるロシアの戦略は、そのエネルギー供給ギャップの可能性がはっきりしてきた時点で、エネルギー禁輸を経済的な武器として行われたために効果がありました。これに西側もてこずっているのです。

世界経済を供給不足型に変える第二の要因は、世界貿易をつかさどる基本原理が、これまでは経済的な効率性、公平性だったものが、地政学的安全保障が取って代わりつつあることです。この変容は、とくにアメリカの貿易政策に見て取ることができます。

自由、無差別、公平というWTOの原理を無視する傾向は、トランプ前大統領の時に強くなりましたし、その前のオバマ大統領の時にもTPPの批准が遅れるなど、変容の兆しが見られました。しかし、バイデン政権になって、自由貿易の原則を適用しない相手国として、ロシアばかりでなく、中国をはっきりと名指しするようになりました。

中国に半導体の新技術の供与を拒むことで、中国産業の技術水準を落とすことを目指した半導体法と、AIやスーパーコンピューター関連の米国技術の禁輸は、まさに新しい貿易原理を体現するものです。台湾のTSMCとの長い交渉の結果、アメリカ国内へのTSMCの投資をこれまでの予定の3倍に引き上げることに成功するなど、アメリカ政府の本音は、製造業を自国に回帰させることではないかと思わせます。

これまで世界的に製造品の価格の上昇が抑えられ、低インフレ率が実現されてきたのは、コストパーフォーマンスの高い中国を中心としたアジア諸国からの貿易拡大が原動力でしたから、アメリカが脱中国の政策を進め、製造業の自国回帰まで目指そうとすることは、製品価格の上昇を通じて、インフレ率を高めることにつながりそうです。もし、中国からの脱却が進む一方で、新しい生産拠点の構築が進まないようなら、化石燃料から新エネの転換についてと同じように、過渡期における供給不足の問題が深刻になるでしょう。

供給不足を生みかねない要因をまとめていて考えたのですが、こうした要因の背後には、アメリカと欧州が、これまでとは異なった経済戦略を打ち出していることがあります。たとえば、アメリカの「半導体法」、電気自動車や再エネの促進を目標とした「インフレ抑制法」、さらにはアメリカと欧州が協力して生み出したロシア産石油の価格抑制を狙った「石油上限価格規制」、よくこれだけ次から次へと新しい戦略を打ち出してくるものだと思いますが、ロシアのウクライナ侵略という、これまでの国際関係の良識、基本認識を破る行動を目前にして、米欧が積極的に新しい戦略を生み出そうとしているのが分かります。

はたして、こうした政策立案に日本はどれだけ関わっているのか。日本の立場はむしろ受け身である傾向が見られます。アメリカが中国に対する半導体新技術の輸出を禁止する措置を発表した1週間後に、オランダのASML社は「中国のいかなる顧客に対する営業サービス、出荷、技術支援をすることも禁じる」という社告を出しました。この課題についての日本企業の対応は遅いということを、英フィナンシャルタイムズなどがこれまで報じてきました。もし、日本企業の側に情報ギャップがあるのだったら、そのギャップを埋めていくことがコンサルティング会社にとっての重要な役割になるでしょう。

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