ますます狭くなっていく世界

2023/01/18

私が慶応大学で教えていた頃、毎年一回、秋にゼミの学生を連れて韓国に行き、韓国の大学とインゼミをするのを恒例にしていました。1993年から2018年まで、考えてみるとそれを25年間続けました。初めのうちは慶応大学と韓国の高麗大学との一対一の交流でしたが、そのうち日本の大学からも、韓国の大学からも、参加を希望する大学が増えてきて、慶応大学と高麗大学に加えて、日本からは東京大学、京都大学、一橋大学、早稲田大学が参加し、韓国からはソウル大学、延世大学、梨花女子大学が参加してくれました。大がかりな催しになりましたが、日本の大学からの参加はゼミの先生たちとの個人的交流から生まれたネットワークの成果でした。

韓国との学生交流に私がこだわったのは、二回目に韓国を訪問した際の私ゼミの学生の言葉が心に響いたからです。たしか1994年のことだったと思いますが、その頃はまだソウルには夜間外出禁止令の名残があり、12時過ぎの外出は困難だったと記憶しています。私のゼミ生は非常に頭の良い学生で、たしか中学までをアメリカで過ごした帰国子女でした。その学生が夜にソウルの町中に出かけ、韓国の若者たちと出会い、とことん話し込んだのです。「アメリカの学生とは話が弾むが、上っ面な気がする。韓国の学生と話すとハートにドスンと来るんだよな」と、その学生は言っていました。

私が慶応を退官した後も、この集いはコロナなどの悪影響等はありますが、ともかく続いています。

大学で研究してきた者として、自分の業績が世の中に残って、しかもその業績に自分の名前が残って、記されていることがそれまで一番の幸せだと考えていました。ところが現在、この日韓の催しは、誰が始めたとか、どういう経緯があったかとか、参加者がまったく知らないままに続けられています。今はそれこそが一番素晴らしいことと感じています。本当に大事な仕事、世の中に欠かせないような仕事は、誰が始めたかなどと考える人もなく、自然に続くのではないでしょうか。自分の仕事が、世の中の仕組みの中にまるで風景の一部のように残っていくということほど、人生の大きな喜びはないのではないかと現在は考えています。

さて、今回私のエッセーでテーマとして取り上げたいのは、この国際交流の中で、韓国の先生が語ったコメントなのです。それはたしか、北朝鮮の軍事脅威が高まり、今年は韓国に行ってインゼミが実行できるか日本側の先生たちが心配した2017年のことだったと思います。その時、私の友人の韓国の先生はこう言ったのです。

「外国の人たちは韓国を半島の国と言います。違いますね。われわれの北には、北朝鮮があります。そのためわれわれが長距離のドライブをできないのは、海がある南に向かってだけではなく、北に向かってもそうなのです。北に向かっても長距離ドライブはできないのです。だから韓国は半島ではなく、島国です。」

先生はさらにこう続けました。

「もし、北朝鮮がなければ、いや、少なくとも普通の国になってくれたなら、一体、どんなことが我々に可能になると思いますか。まずソウル駅発の列車で北朝鮮を縦断できるようになります。次に列車を中国の鉄道につなげれば、ロシア国境まで行けます。そこでロシアのシベリア横断鉄道に乗り換えれば、そのままパリまで行けるのです。そう、ソウル駅を出て、パリに向かう鉄道の旅ができるのです。素晴らしいことだと思いませんか。」

この話を聞いてまさに目から鱗の感覚を覚えました。ですが、それは実現の可能性が少ない夢だとも感じました。とくに現時点では、可能性はゼロに近いのではないでしょうか。ソウル駅からパリまでの鉄道旅行が実現できる夢と、イーロン・マスクが売り込んでいる火星旅行構想が実現できる夢、一体、どちらがより早く実現することができるのか?そのことを時々考えます。

話は変わります。私は帝政ロシアのセルゲイ・ウィッテという政治家に深い興味を持っています。彼と伊藤博文の二人を主人公にした日露戦争前後の物語(小説のようなもの)を書く構想を10年以上温めているのです。私の慶応での授業ではそのテーマでずっと話してきましたが、まだ本として書いてはいません。今年は、少し時間が空きそうなので、いよいよ執筆に取り掛かろうと思っています。

1905年に完成を見たシベリア横断鉄道は、ウィッテの構想力、行政能力がなければ実行不可能だった計画です。この鉄道の建設に当たり、ウィッテは一つの重要な決断をしました。シベリア鉄道の全路線をロシア領内で完結し、一番極東に近い部分は黒竜江沿岸に線路を敷設してウラジオストックに到達する代わりに、ハルビンからウラジオストックまで中国領を通過して建設しようという計画を進めたのです。この中国ルートを通ると、運行距離も経済費用も節約できます。ですが、それだけではなく、ウィッテはもう一つの大きな目的を持っていたのです。今後成長が見込める中国市場に、英国やフランスが頼る「海路」よりも便宜の良い「陸路」で、ロシアの工業製品を売り込むアプローチを確立することでした。

当時も今も、ロシアの工業製品は英国、フランス、ドイツなどの工業製品と比べ、質でも価格でも劣っています。しかし鉄道という輸送アプローチの有利さを利用して、中国市場に安価な工業製品を売り込めるなら、ロシア産でも勝負になるのではないか。このビジネスが成功すれば、ロシアを工業国のステータスに引き上げることも可能になるのではないか。こうウィッテは考えたのです。

実際の成り行きはウィッテの思惑とはまったく異なって進みました。シベリア横断鉄道はロシア産工業製品を中国に運ぶことには役立たず、その代わりロシア兵を中国に運ぶことに大きく貢献しました。日露戦争が勃発した時、満州にはなんと110万のロシア軍兵士と軍属が駐留していたのです。

日露戦争に勝利したわずかばかりの報酬として日本が得たものは、大連とハルビンをつなぐシベリア鉄道の南延部分です。つまり、後に改組され、南満州鉄道(満鉄)によって経営される路線です。しかし日本政府は日露戦争で莫大な対外債務を負うことになり、しかもロシアからは一銭も賠償金が受け取れなかったために、この路線をそのまま受け取ってよいのか悩みます。路線の修理や複線化のために莫大な費用が見込まれ、その費用の調達のためにますます対外債務が拡大するのが不可避だったからです。

この日本の苦境に救いの手を差し伸べた人物がいました。アメリカの鉄道王、エドワード・ハリマンです。ハリマンは、さすがというべき壮大な構想を抱いていました。自分が支配する鉄道と客船の会社のシステムネットワークだけを利用して、世界一周旅行を可能にするという構想です。いろいろな意味で。この頃がまさにグローバル化の頂点だったのではないかというのが実は私の考えなのですが、その頂点にふさわしい構想をハリマンは抱いていたわけです。

その壮大な構想の実現のために、彼は後に満鉄が経営することになる鉄道路線が不可欠と考えます。それで、ちょうど日露戦争の停戦のためのポーツマス会議が進んでいる時期に日本を訪問し、この鉄道を日本政府と自分との共同経営にしようと日本政府首脳に持ち掛けたのです。しかも必要な経費は全部自分が出すからという、日本政府にとっては破格の好条件まで持ち出して。

彼のアイデアはこうです。ハリマンが支配するユニオン太平洋鉄道に乗ってニューヨークを発った旅客は西海岸のサンフランシスコに到着し、そこで彼の支配する汽船会社の運行ルートで中国の遼東半島に到着する。そこからは、満鉄ルートでそのままロシアの経営するシベリア横断鉄道に乗り継げる。その連結権もハリマンはロシアから買い取るわけです。シベリア鉄道に乗り継げば、旅客はそのまま欧州の中心部、パリやベルリンまで行けるわけです。帰路はバルト海からハリマンの支配する汽船会社の船に乗り、その運行ルートでニューヨークに帰れる、そういう構想です。

グローバル化の頂点にふさわしい構想と先ほど言いましたが、実際、著名な実業家がこのような構想を現実的なビジネスプランとして提案することが可能だったのは、この時代が最後だった気がします。

しかし結局この鉄道路線は、日本が単独で、満鉄により管理することになり、満鉄はグローバル化進展の鍵になるどころか、満州事変、満州国設立といった展開が起こる1930年代に満州軍の中国侵略の跳躍台となり、日本の国際的孤立を招く要因となりました。グローバル化が奔流のように進展する時代にも、対応を少しでも誤ると、時代の流れは真逆の方向に進むこともある。そういう教訓をこの出来事は与えてくれます。

現在の状況にはこの教訓が当てはまると思います。「冷戦の終結」が国際的認識となった1991年以降、空の旅については北回りのモスクワ・ルートが開かれたために、飛行時間が短縮され、航空運賃も下がりました。しかし現在、モスクワ・ルートはふたたび閉ざされました。次に再開されるのは、一体いつになるでしょうか。

エッセーの始めに、「ソウルからパリまでの鉄道旅行が実現可能になる見通しは立たない」と書きましたが、現在の状況はもっと深刻です。サッカーのワールドカップを考えてください。2022年のカタール大会の前の大会はロシアで開かれたのをご記憶されているでしょうか。その時は、欧州からも、アジアからも、多数の観客がロシアを訪問しました。誰もロシアに行くことに問題を感じなかったのです。次にわれわれがのんびりとロシアを訪問できるようになるのは、一体、いつなのでしょうか。5年後。10年後、それとも100年後。

なぜ、世界はどんどん狭くなっていくのか? 政治学、経済学、社会学の専門家に聞けば、それについて何らかの意見は言ってくれると思います。しかし、世界が狭くなっていくまさにこの時代に生活する者の一人として、今後自分なりの答えを出していこうと考えています。

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