日本の歴史ドラマに外国人が出てこない理由
この問題を考えることがよくあります。日本の歴史ドラマなんだから、日本人だけで演じられるのが当然と思われる方もいるでしょう。しかし、オンラインで韓国や、中国のドラマを見ていただくと、日本の状況はむしろ特殊なことがすぐに分かります。中国、韓国のドラマには外国人が頻繁に出てくるのです。
すでにお分かりになった方もおられると思いますが、韓国や中国のドラマに出てくる「外国人」は「日本人」であることが多く、その日本人は敵として登場する場合が多いのです。
「抗日戦」の中国ドラマの多さはよく知られています。動画サイトで「抗日」で検索すると、出るわ、出るわ、よく飽きもせずにこのテーマでドラマを作り続けるものだと思います。背景に政治的な意図があることも確かでしょう。抗日戦争を主導したのは中国共産党ではなく、中国国民党で、共産党は抗日戦争の期間、兵力温存を図った。それゆえ日本敗北後には、完全に疲弊した国民党は共産党の敵ではなかった、というのが歴史専門家の見解です。(たとえば、Mitter, Rana (2013). China’s War with Japan, 1937-1945 : The Struggle for Survival. London: Allen Lane.)ところが、中国の「抗日ドラマ」では、抗日戦争は日本と中国共産党との戦いとして描かれています。
韓国の歴史ドラマで日本との戦いが描かれるのは、19世紀以降の場合、1880年代前半の甲申事変あたりから日露戦争までだと思います。日本統治下の時代の物語は少ない。その時期だと、韓国人の対日協力者も描かなければならないので気まずいからでしょう。19世紀以前だと、16世紀の秀吉の朝鮮出兵(文禄、慶長の役)がよく取り上げられます。韓ドラは日本でも人気がありますから、ご存じの方も多いと思いますが、韓国では歴史ドラマが大変人気で、対外戦争も扱われることが多い。日本以外に、清国も、敵として登場することがあります。歴史的事実として、朝鮮は対外戦争で勝利を収めたことが少ないので、そうしたドラマでは敗戦が描かれる。いつぞや、大変仲の良い韓国の友人に、「お前の国はなんで、負けた戦争の物語をこんなに取り上げるんだ」と冗談で言ったことがあります。「いや、負けた戦争だからこそのドラマがあるのですよ」と、友人は言っていました。
彼の指摘はポイントをついていると思います。中国で盛んな「抗日戦のエピソード」を、逆に日本の視点から取り上げることが少ないのは、なぜか。1880年-1910年の時期の日本と朝鮮のやり取り、あるいは「秀吉の朝鮮出兵」を取り上げた日本のドラマが作られないのは、なぜか。「勝つ、負ける」という視点で考えるなら、こうした時期の日本はほとんど「不敗」です。
それでも日本側で取り上げられないのは、「ドラマとして楽しむ題材」として不適当と制作者が判断するのでしょう。「ドラマとして楽しむ」ためには、視聴者がその時代について落ち着いた認識を持つことが重要です。たとえば、徳川家康を描いたドラマなら「隠忍自重の人生を思い描けばよいのだな」といった心象形成があらかじめできます。それがドラマとしてヒットするために必要なのだと思います。この条件が、19世紀末の日韓交渉を描いたドラマでは満たされない。一般の日本人はこの時代設定を聞くと居心地が悪くなるのです。素直にドラマを楽しむ気になれないのです。これに対して韓国の視聴者には、この時代設定では自分たちは「辛い立場」と思うべきなのだという共通認識が成立し、悲劇基調のドラマに多くの視聴者は容易に心情移入できるのでしょう。
「居心地の悪さ」を感じさせない時代設定という点を考えると、日本の歴史ドラマの題材の選択は限定されてきます。一番取り上げられるのが多いのが戦国時代です。ヒットの打率が一番高い時代と言えるでしょう。もう一つ。ヒット率が非常に高いのは「幕末維新」の時期です。それに近い時期でも「明治」はダメ。あくまでも「幕末維新」です。
この点を確認したかったら、NHKの大河ドラマの中で、西郷隆盛が主役格を演じたドラマと、伊藤博文が主役格を演じたドラマのそれぞれに、何があったかを思い浮かべていただければと思います。どちらが多いか?答えは明らかです。
西郷隆盛は幕末維新では主役でしたが、明治の制度作りには貢献していません。それに対して、明治憲法にしろ、国会開設にしろ、伊藤博文の貢献なしに考えられるものはありません。明治は偉大な時代だったという点は日本人の共通認識になっていると思いますが、西郷が主役ならOKで、博文が主役はNOという点に、ドラマの題材としては「明治」がヒットさせにくいものであることが分かります。(伊藤博文を主役にしにくい理由は、彼が初代朝鮮総督だったことだ、と著名歴史家から聞いたことがあります。私は今でも慶応大学で、この時代を中心にした日本史を英語で外国人学生に講義しているのですが、韓国からの学生のために、「この授業では伊藤博文を大きく取り上げる」と最初に断るようにしています。)
明治を歴史ドラマの題材に取り上げにくいという点について、もちろん例外があります。日露戦争をテーマとした司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。原作は今でもよく読まれていますし、原作に基づいたNHKの長編ドラマも作られました。愛媛県松山市には「坂の上の雲」ミュージアムがあって、観光客を集めています。司馬はドラマのテーマとする時代を実にうまく選んだと思います。「日本人が輝いていた時代だった」と小説の冒頭にあります。たしかに、日露戦争までの歴史展開なら、テレビの前に家族が座って、長編ドラマを楽しむのに支障はありません。(気まずい思いをする可能性がある1880年代以降の日朝関係は簡略化されています)しかも小説のスタイルは、日本人が好きな「教育小説―熱心に先進国文明を学ぶ努力をする人物が栄達する物語」です。日露戦争の勝利までならOKなのです。ただし、そのすぐ後から居心地の悪い時代に入るのですね。
私事ですが、この3月で67歳になります。そろそろ一生で何ができたかを考えなければならない時期に来たと思っています。ドラマでもないし、小説でもないのですが、日本の近現代史の二つの時期を、外国人が多数登場する、国際的な交流の物語として洗い直し、書いてみようと思っています。一つは、司馬が扱った日露戦争までの歴史展開です。「日本人が輝いていた時代」が、なぜ、今になって思い出すと「居心地の悪い時代」になってしまったのか、それをテーマにしようと思います。
もう一つは1920年代です。この時、日本経済には第一次世界大戦期のブームの追い風が吹いていました。外貨準備も積み上げ、英国にも、フランスにも、金を貸せる状態でした。当時の中国は内戦状態にありましたから、ウォールストリートがこの頃、アジアで注目していたのは、中国ではなく、日本のマーケットだったのです。19世紀以降、海外資本は一貫して日本よりも、中国に注目していましたから、これはまさに例外と言える時期でした。日本は第一次大戦で連合国側についていましたから、そのままアングロサクソンが築く世界体制の主要メンバーになることも可能だった。でも、そうならなかった。20年後にはアングロサクソンと戦う羽目になるのです。
なぜ、そうなったのか。これは日本の選択の問題でした。しかも、どちらに転ぶか、微妙な選択でした。結論だけ言えば、大恐慌が起こらなかったら、恐らく日本はアングロサクソンの世界体制に従っていったと思います。さらに突き詰めて言えば、1928年にアメリカの中央銀行(連銀)が政策を転換し、利上げに踏み切ることがなかったら、日本の運命は大きく変わっていたでしょう。いずれにしても、日本の運命にとって非常に重要だったこの時期について、外国人が登場しないドラマを思い描くのは不可能です。決して幸福な結末をもたらしたとは言えない、不幸なドラマでしたが、「負けた戦争だからこそのドラマがあるのですよ」という韓国の友人の言葉を思い出しながら、この時代物語の構築に取り組みたいと考えています。
テーマ・タグから見つける
テーマを選択いただくと、該当するタグが表示され、レポート・コラムを絞り込むことができます。