資本の流れ「せめぎ合い」中国「統制」恒大危機招く
1895年の日清戦争での勝利から間もない頃、勝海舟は中国をこう評した。
「この大国は帝室が代わろうが、誰が来て国を取ろうが、国自体の本質はまったく揺るがない。剣や鉄砲の戦争には勝っても、経済上の戦争にかけては、日本人はとても中国人には及ばないだろうと思う」
政権の統制を拒む強靱(きょうじん)で「ソフト」な社会、人口がもたらす市場の「巨大さ」、その市場に創意工夫を売り込む人材層の「厚さ」。勝には中国の潜在力が見えた。それから120年、中国のソフトな体制を前に日本企業は苦戦する。
スタートアップ企業が、評価額10億ドル(約1090億円)以上の「ユニコーン」に成長する実績に日中の格差が明白だ。ユニコーンの数で中国は米国に次ぐ2位、日本にはわずか4社しかいない。
日本企業がデジタル転換に悩む中、中国企業は14億の人口からなる市場の掘り起こしにデジタルを徹底活用し、資本調達のために米国株式市場に積極的に進出する。今年前半、米国に上場した中国企業は36社で、1995年以来最高のペース。消費需要と資本の「栄養」を随時市場から補給される中国企業に、技術力だけが勝負の日本企業は分が悪い。
20世紀に入ると中国は、勝海舟も予想しなかった全国民を巻き込む総力戦を幾度も経験した。政治ライバル間の争いに勝利したのは計画経済を推進し、国民の思想管理を目指す「ハード」な毛沢東体制。その締め付けで経済は窒息しかけたが、78年に経済自由化に転換し、活力を回復する。中国を国際社会に迎え入れるために米国や日本が技術、経済協力を進め、世界貿易機関(WTO)加盟を認めたことも発展を容易にした。
中国のソフトとハードの体制のせめぎ合いは今も続く。両者がうまく絡むと、民間企業が始動した再生エネルギー事業を、政府が低利融資で支援して世界トップの地位に押し上げたような展開も生まれる。だが強権姿勢を改めない中国政府の先端産業の後押しは地政学的脅威を生み、米国は中国の軍関連企業への投資禁止に踏み切った。その結果、昨年10月以降、17社の中国企業が米国で上場廃止となった。
最近は中国政府自身が企業の海外上場を阻止する傾向が目立つ。昨年11月、中国政府は、巨大IT企業アリババ集団傘下の金融会社「アント・グループ」が上海、香港で予定していた史上最高額と予想される新規上場を延期させた。実施のめどはない。中国政府には、ハードな体制から受け継いだ非効率な国営企業を存続させる必要がある。国営企業は雇用吸収力が強く、共産党の政治基盤でもあるからだ。それゆえ国内資金は国営銀行を通じて国営企業に回らねばならず、IT企業に向けて資金の流れが変わるのは容認できない。
不動産大手「恒大集団」の危機にも政治が絡む。恒大は、地方政府から不動産を買い、マンションを建てて個人に売り捌(さば)くのを中核ビジネスとし、今年6月末の資産評価は約40兆円。「恒久的バブル」を示唆する社名は、公衆の投機本能を呼び覚ます狙いか。
投機的なマンションへの投資ブームが現在中国で燃え盛る。9000万人が住めるほどの完成後に空室のままのマンションが残る。人が住まなくても資金が流れ込むためマンション価格は急騰し、深圳市の価格は同市の平均所得の57倍に達する。住宅投資資金の調達のための借金も膨張し、中国の民間債務は国内総生産(GDP)の220%に及ぶ。
バブル抑制を狙い、昨年、中国政府は企業債務を資産の7割以下に抑える基準を設けた。基準を超えている恒大は借り入れ拡大ができず、不動産購入をやめる。バブル創出のエンジン停止だ。住むためではなく、値上がりを見込んだ投機のためにマンションを購入する以上、バブル終焉(しゅうえん)が見えれば、人々はマンション購入をやめ、売りに走る。それでマンション価格は急落した。抱えるマンションの資産評価が下がり、負債の返済が困難になった恒大は経営危機に陥る。
バブル企業の懲らしめのため、中国政府は恒大と恒大の出資者を容易には救済しない考えだ。バブルと負債膨張の「負の連鎖」にストップを掛ける判断自体は誤りではない。ただ問題が二つある。
第一に、負の連鎖に火をつけたのは中国政府自身だった。2009年、リーマン・ショックで打撃を受けた経済を刺激するため、中国はGDPの11%に及ぶ公共投資策を実施したが、その際、地方政府に非正規の金融機関から資金を借り入れさせ、不動産を中心にしたインフラへの投資にそれを回させる方法が取られた。経済刺激効果は目覚ましかったが、この政策で不動産価格上昇に火が付き、地方政府の抱える不動産と債務が膨れた。
現在は恒大の不動産買い入れが地方の重要財源だ。それゆえ今後地方財政は悪化する。不動産投資の持つ景気刺激効果からして、今後この投資が減れば、経済成長も危うくなる。
第二に、ソフトな部門の成長で豊かになっても、中国にはその豊かさを蓄えるのに適切な資産がない。それでマンションのような投機資産に国民が飛びつく。上場株式市場も国営企業の上場が優先されるため収益率が低い。一般国民には米国株式市場に投資する自由はないが、それでも国民は海外へ資産を移す機会を窺(うかが)い、資本逃避が頻繁に起こる。
ソフトとハードの本質的に異なる体制の共存が可能か、中国政府は歴史上成功例のない困難な課題に直面している。
(読売新聞『竹森俊平の世界潮流』2021年10月01日号より転載)
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