対露制裁強化 EUの転換 パイプライン凍結 決済網排除
現下のウクライナ紛争は、「ロシア対西側(米国、欧州連合<EU>)の経済戦」と「ロシア対ウクライナの軍事戦」の二層からなっている。発端は第一層(ロシア対西側)。ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟はロシアの安全保障を脅かすとプーチン大統領は主張し、その永久放棄を西側に求めたが、西側は拒否したのだ。
ロシアにとり「帝国崩壊」の危機を意味するウクライナ政府の離反行動に対し、それを自国の「勢力圏」内の出来事として、軍事介入で制裁する権限を確保することが大統領の狙いだった。核大国ロシアとの直接軍事衝突を西側は望まないので、経済制裁が第一層の行動手段となる。
主要な経済制裁は、①天然ガス禁輸、②金融制裁。ガス禁輸は本来、西側の武器とも、ロシア側の武器ともなる。製造業の弱いロシアは製造品を輸入に依存し、その代金を稼ぐための輸出はガスに依存する。EUはガスの主要輸出先なので、もしEUがロシアからの輸入を禁止する措置を取ることができれば、外貨収入を失うロシアは大打撃を受けるはずだ。しかしガス価格が高騰する現状では、ガス禁輸はむしろロシア側の手段となっている。
液化を必要とせず、パイプラインで輸入できるロシアのガスはEUにとって経済的。そのためロシア産の比率は4割を占め、特にドイツは半分以上を依存する。ロシア以外から液化天然ガス(LNG)の輸入が必要となった場合、大規模気化施設はスペインにはあるが、ドイツにはない。スペインからドイツにパイプラインで運ぶこともできず、ロシア側のガス供給停止はドイツ経済に大打撃を与える。
近年、主要国が脱炭素化政策を宣言して以来、世界的にもガス需給はひっ迫している。米国のような高コスト国では、すでにガス生産設備拡大のための投資が停止され、中東産油国もガスからの転換を図っているため、ロシアの比重は高まる。ロシアがガス供給を停止すれば、EUは備蓄を取り崩して今秋までしのげるが、それ以降は生産調整、計画停電が不可避となる。近年、経済安全保障を考慮した総合計画を欠くエネルギー政策が世界的に脈絡なく進められてきた。それがウクライナ紛争の遠因だ。
他方、西側最大の武器は金融制裁。なかでも「ロシア中央銀行の資産凍結」と「ロシア金融機関の国際銀行間通信協会(SWIFT)からの排除」は強力な措置だ。経済安定化のためのロシアの金融政策の中心は中銀の介入による為替レートの安定だ。ルーブルが弱すぎる場合、中銀が外貨を支払い、ルーブルを買い上げるのだ。西側との紛争を見越したロシア中銀は、その原資となる外貨準備を70兆円に及ぶ規模に積み上げる「防衛策」を取ってきた。
その防衛策もロシア中銀の資産凍結で無力化した。たとえば外貨準備の約半分を占める外貨建て証券は、主要取引市場での売買の必要性から主要国の金融機関に預けられている。ここで中銀資産が凍結されれば、中銀は証券を現金化できず、為替介入も実行不能になる。実際、ここ数日ルーブルは大幅に減価した。やがてインフレ率も高まる。
他方、SWIFTとは銀行間国際決済を円滑にするためのシステム。これから外されると貿易も、国際賃借も取引費用が跳ね上がる。ロシア企業は輸出代金の受け取りにも、輸入代金の支払いにも困り、自給自足に追い込まれる。強力な措置だが、先週金曜までEU会議ではドイツはこれに反対していた。輸出代金を受け取れないのを口実に、ロシアがガス輸出を停止することを恐れたのだ。
ところがドイツの対応は週末に180度転換した。①ロシアから直接、従来の2倍のガスを運ぶパイプライン「ノルドストリーム2」の使用停止、②ロシアをSWIFTから外す――に加え、③ドイツの国防費をNATO公約の国内総生産(GDP)2%に即刻拡大する、の3点をショルツ新首相が決断したのだ。メルケル時代までの経済優先政策から安全保障重視への歴史的転換だった。一体、何が起こったのか。
第二層のロシアとウクライナの戦いが鍵だった。ウクライナの首都・キエフを電撃攻撃し、ゼレンスキー現政権を親露派に置き換えたら、早々に撤退することを当初ロシアは考えていた。ウクライナをロシアの勢力圏と西側に認めさせれば、ウクライナ全土の占領は不必要で、状況に応じて軍事介入すればよいからだ。EUの予想も基本的に同じで、ゼレンスキー政権崩壊は「既成事実」と想定したうえで、自身が受ける経済的打撃が限定的な程度に、対ロ制裁を実行するつもりだった。これにドイツも倣ったのだ。
しかし歴史はデータだけでは決まらない。ロシアの指導者の身勝手な判断で、何の落ち度もないのに日常生活をいきなり砲弾で破壊されたウクライナの市民が、火炎瓶まで用意してロシア軍の侵攻を食い止める姿が、映像としてリアルタイムで西側の家庭に飛び込んだ。この予想外の出来事がドイツの転換を生んだのだ。
しかしチェチェンでも、シリアでも、ロシア軍は緒戦では苦戦しながら空爆と戦力を拡大し、多大な犠牲を伴い勝利した。英紙で報道された中国による和戦仲介の申し出は検討に値する。米国中心の世界秩序への反対では中露首脳の立場は同じ。しかし、ロシアの戦争を支援すれば、中国は国際社会から憎悪される。紛争後、ロシアはガスの主要輸出先を中国に転換せざるを得ず、中国のロシアへの発言権は強い。仲裁役は中国の「新国際秩序」形成への好機でもある。それが西側の「秩序」と齟齬を来さないことを願う。
(読売新聞『竹森俊平の世界潮流』2022年03月04日号より転載)
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