露ガス巡る攻防新局面 独に供給停止なら自ら窮地
ロシアのウクライナ侵攻を受け、西側はロシアが積み上げた外貨準備を取引不能にする「ロシア中央銀行の資産凍結」と、ロシアの対外決済を困難にする「ロシア金融機関の国際銀行間通信協会(SWIFT)からの排除」という二つの強力な金融制裁を発動した。これによってロシアがエネルギー輸出で外貨を稼ぎ、その外貨で海外からの輸入代金を支払う取引が止まり、軍需物資の不足から戦争継続も困難になると予想されたが、2か月以上が経過しても戦争は続く。
結局、欧州連合(EU)経済が強く依存するロシア産エネルギーの輸入を金融政策の対象から除外したのが響いた。除外措置の結果、ロシアは現在でもスイスに設けられた国営ガス会社ガスプロムの銀行口座などを通じて輸出代金を受け取り、それを輸入に回せる。そのため金融制裁の効果は弱まった。
もともとエネルギー、とくに天然ガスの貿易は経済制裁の手段としてロシア側の切り札にも、EU側の切り札にもなり得た。戦争前、EUはガスの4割をロシアに依存し、とくにドイツの依存は55%に達した。それゆえロシア側がガス輸出を削減すれば、ガス需要が増える冬場に、EUは家庭暖房や工場の生産を節減しなければならない。パイプラインで運ばれるロシアのガスへの需要は欧州中部、東部に集中する一方、地中海沿岸には液化天然ガス(LNG)の気化設備があるため、ロシアの制裁はとくにドイツに対して強く働く。
だが戦争が勃発してから、EUはエネルギーのロシア依存を減らす努力を続け、ドイツもロシア産ガスへの依存度を55%から35%に減らした。こうなるとロシア産エネルギーの輸入停止をEU側が経済制裁手段とする反撃策が視野に入る。EUはすでにロシア産石炭の輸入停止を決め、さらにドイツからの強い要望を受けて、石油の年内輸入停止にも向かっている。エネルギーでのロシア離れは、対露金融制裁の穴を埋めるのに加え、海外からの所得手段を奪うことでロシア経済を一気に窮地に追いやる。
石炭、石油とくれば、とどめはロシア産天然ガスの輸入停止だが、LNG気化設備に乏しいドイツにとって、即時の実行は重大な経済損失を伴う。4月13日にドイツの5大経済研究所が発表した共同の予測によると、ロシア産全エネルギーを輸入停止した場合、2023年の成長率はマイナス2・2%、22年からの2年間累計で2200億ユーロ(約30兆円)の経済損失になる。その後ドイツ連邦銀行はさらに悲観的な予測を発表した。ガスの即時輸入停止は22年の国内総生産(GDP)を従来予測より5%低下させる。
戦争勃発以来、ドイツの国内世論はロシアの軍事脅威に目覚め、エネルギー政策の転換を強く後押ししているが、さらなる行動のためには経済損失に加え、もう一つの政策上の検討課題が残る。独裁者が支配する核大国を追い詰めることが不測の事態につながる危険だ。
ショルツ首相は4月22日に独週刊誌のインタビューで、「ウクライナ国民が現在味わっている苦難にドイツ政府は全力で対応している。しかしそれによって、欧州大陸、いや全世界に計り知れない苦難をもたらす制御不能な紛争のエスカレーションを招くことも避けなければならない」と語っている。
ドイツ国内だけでなく欧州で深く尊敬される哲学者、間もなく93歳になるユルゲン・ハーバーマス氏は、首相のこのような慎重な姿勢を高く評価した論説を4月28日に独紙に寄せた。「われわれはウクライナが敗北するか、限定された戦争が第三次世界大戦に拡大するかという二つの悪の間での選択を迫られている。冷戦からわれわれが学んだ教訓は、核大国に対しては、戦闘行為による勝利は不可能で、双方が面目を保てるような妥協策だけが選択肢ということだ」
西側の対露制裁がさらに進んだ場合、核兵器を使用するかの「境界線」を決めるのは、国民の意思を無視して独断で行動するプーチン大統領だ。そのため現状は巨大な不確実性に包まれており、慎重かつ熟慮を重ねた上での行動が必要、という氏の意見には、ロシアに主導権を認めるものとしてドイツ国内での反発も強い。しかし、まったくの正論だ。
核大国の独裁者に世界を勝手に支配されないためには不確実性の領域に踏み込まざるを得ないが、双方にプラスとなる妥協点をつねに模索する冷静な思考は不可欠。制御不能なエスカレーションを回避するため、相手との交渉のパイプも堅持するべきだ。
ロシアへのガス依存脱却という当面の課題については新展開が起きている。ガス代金の支払いにはルーブルしか認めないというロシアの一方的決定に反したという理由で、ポーランドとブルガリアへのガス供給が停止されたのだ。西側が支払い目的でルーブルを得るには間接的でもロシア中銀との取引が必要。それが西側の金融制裁に風穴を開けるというのがロシアの狙いだが、今後ドイツなど大国がこれを無視した場合、ガス供給が停止されるかが注目される。
供給停止でガスが売れなければロシア経済には致命的打撃となる。欧州で売れないガスを中国に回すにはパイプライン建設が必要で、その完成は20年代後半になる。それまでロシア経済をどう支えるつもりか。さすがのロシアでも、自らのオウンゴールで陥った窮状を西側による「境界線侵犯」のせいにはできないはずだが。
(読売新聞『竹森俊平の世界潮流』2022年05月06日号より転載)
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