脱エネ依存 露を弱体化 西側『二つの楔』打ち込む
2月24日のロシアのウクライナ侵攻開始時、ロシア軍は短期に目標を達成するというのが西側(米欧)の観測だった。西側政府は「既成事実」としてのロシアの軍事成果に対して、エネルギー禁輸を避けた申し訳程度の事後的経済制裁を実施することを考えていた。実際には、祖国防衛へのウクライナ軍の奮戦、西側が行ってきた軍事支援の成功、腐敗した体制によるロシア軍の弱体化により、現在もロシアの目標達成はほど遠い。
このところウクライナ東部、ドンバス地域に集中した攻撃で、ロシア軍は成果を収めているが、ウクライナへの軍事支援を質、量ともに高めれば、ウクライナ軍の反攻が可能だから、当面西側はそれに全力を傾注するべきだ。だが、どこまでの反攻を目指すべきだろう。
欧州のリーダーからは、軍事支援は続けるものの、戦争の「落し処(エンドゲーム)」を設定し、停戦の糸口を早期に模索するべきという声が上がっている。落し処はどこか。反攻の範囲につき、①2月24日のロシア侵攻前の領土回復まで、②2014年にロシアに併合されたクリミアの回復まで、③領土回復に加えてロシア領への進軍――といったシナリオが議論されている。②のクリミア回復、③のロシア領進軍は、体制崩壊を恐れるロシア政権による核戦争へのエスカレーションにつながる危険から米軍関係者も警戒的なようだ。
戦争方針を決めるのは一義的には被害国であるウクライナだが、同国の戦力が軍事支援に依存する以上、今の段階で西側が落し処を検討するのは間違いではない。いまロシアの戦力を徹底的に破壊しなければ、軍事危機は繰り返されるという強硬論もあるが、西側はすでに次の危険に備えて2つの強力な楔を打ち込んでいる。
第一は、北大西洋条約機構(NATO)へのスウェーデンとフィンランドの加盟申請だ。NATOに加盟するバルト三国は、ウクライナに次ぐロシアの標的として挙げられる。もしロシア軍が、ポーランド・リトアニア間の「スバウキ回廊」を抑え、同時にバルト海を制圧すれば、バルト三国は補給を完全に断たれ、ロシアに屈服を迫られる。だがトルコの反対を翻させ、バルト海をにらみトップクラスの海、空軍を持つスウェーデンがNATOに加盟し、バルト海危機に対応することができれば、バルト三国の安全は高まる。
第二は、欧州が進めるロシアへのエネルギー依存からの脱却だ。戦争勃発前に、欧州連合(EU)が天然ガス需要の4割をロシアに依存していたことが西側の最大の弱点だった。依存度が5割を超えていたドイツが年内にそれをゼロにすることは、経済的な打撃があまりにも大きいが、3、4年の時間を掛ければ、依存度をゼロにできる。ロシアにとり最も重要な輸出手段を奪うことで、もちろんロシアの軍事能力は急落するが、西側が望むならロシア経済を崩壊させることすら可能だ。
中期的には西側の経済制裁を受けて存亡の危機に立たされるのを知りながら、なぜロシアが軍事冒険をしたのか、かねてから疑問だった。恐らく、コロナ禍の打撃を受けた後、エネルギー高価格、高インフレに悩まされる欧州が、エネルギーでの脱ロシア化を図るのは政治的に不可能と踏んだのだろう。
インフレと不況のダブルパンチを受ける中で、西側が団結を維持してロシアへの対抗を続けることは確かに難題だ。そうだとしても次の危機の回避のため、停戦交渉では当面軍事行動の停止に焦点を絞り、対露経済制裁の縮小には、ロシアの軍縮や緩衝地帯の設置を求める、エネルギーの脱ロシア化は着実に進める、などを譲れない条件とするべきだ。
ロシアのウクライナ侵攻とともに、極東における中国の軍事脅威、とくに台湾への侵攻の危険も注目されている。同じ軍事脅威でも、ロシアと中国では背景が異なる。世界的に脱炭素化政策が推進される中、エネルギーだけに経済が依存するロシアの影響力は長期的な低下が予想されていた。それでプーチン大統領は行動を起こすなら、いましかないと考えたのかもしれない。
これに対し、少なくとも中国首脳の計算では、米中の経済力の逆転傾向は長期的趨勢で、アジアの安全保障を主導する米国の力が衰退するとともに、中国の影響力はますます高まっていく。「時」はロシアの敵だが、中国の味方なのだ。
こうした計算に立つ中国に対抗するためには、インド太平洋で、民主主義、平和主義など本質的な価値観を米国と共有する国々の連帯の枠組みを作り、自由貿易など経済的誘因によって参加国を拡大していく。それで中国中心の経済圏の魅力を喪失させる、といった戦略の必要性が浮かぶ。環太平洋経済連携協定(TPP)はまさにこの戦略に立つ構想だった。今回米国が提示したインド太平洋経済枠組み(IPEF=アイペフ)構想は価値観を共有する国の集まりという性格は持つが、参加にどんな経済利益があるかが明らかでなく、中国に対抗できる魅力はない。
社会の分裂が進んで内向きになり、自由貿易への支援が弱まっている米国の政治事情が、国際的リーダーシップに影を投げかけている。
前トランプ政権以来、保護主義に転換した米国をTPPに復帰させるのは難しい。米国への働きかけと同時に、日本と自由貿易協定を結んでいるEUにTPP参加を呼び掛けてははどうか。すでに英国は参加の方向で、EUの参加に無理はない。中国の牽制につながるなら米国にも異論はないはずだ。中国の軍事行動への経済制裁では、米国と並ぶ中国の重要な輸出先であるEUの協力が鍵になるだろう。
(読売新聞『竹森俊平の世界潮流』2022年06月03日号より転載)
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