石油価格安定 米が新戦略 露の侵略受けサウジに接近
7月、米大統領として初めてのサウジアラビア訪問にあたり、バイデン氏は米紙に寄稿した。「中東の安定は米国民の利益ともなる。この地域のエネルギー資源は、ロシアのウクライナ侵略による需給ひっ迫の緩和に不可欠だ」
サウジ政権の実権を握るムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、サウジアラビア人ジャーナリストの殺害に関与したことを大統領選中に取り上げ、同国を「嫌われ者」と呼んだバイデン氏も、現下のエネルギー事情から立場を変えた。サウジ訪問の最大の目的は石油増産を促すことだったと見られている。
「増産」は遊ばせている生産設備がなければ無理だが、米国のように民間企業が石油生産を担えば生産設備は遊ばせない。だから増産が可能なのは、サウジのように政治目的で生産が動く国だけになる。だが米大統領にサウジが提示した増産規模は、すでに3月に決めた予定水準を超えなかったようだ。
米国との最近の関係悪化を反映する今回のサウジの対応は、両国の長期的な関係からは異例だ。1973年のアラブとイスラエルの戦争(第4次中東戦争)で、イスラエルを支援する西側諸国への経済的武器として石油禁輸を提唱したのはサウジだったが、すぐに方向転換する。歴史的にイスラム教・スンニ派でも原理主義傾向が強いワッハーブ主義に立つ、保守的なサウジは、中東へのソ連の影響力の強まりを何より嫌った。それを防ぐ力を米国に期待し、その経済を助けるために増産に転じたのだ。
やはり同盟国と期待したイランで78年に革命が発生した後は、米国が中東で頼れるのはサウジだけになる。その期待に応え、80年のイラン・イラク戦争勃発による石油価格高騰時にサウジは増産に応じた。サウジの西側への貢献は、石油価格安定に留まらなかった。
79年にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、サウジは潤沢な石油収入を、これに抵抗するイスラム主義組織への金融支援に回した。イスラム主義組織は反米思想にも傾いていたが、米国は対ソ戦略としてサウジの行動を歓迎する。
良好だったサウジと米国の関係悪化をもたらしたのは「冷戦の終焉」だった。
ソ連が89年にアフガンから撤退、91年にソ連邦自体が崩壊すると、サウジによるイスラム主義組織の支援は、米国にとって無用の長物どころか危険になる。実際イスラム過激派はテロ攻撃の矛先を米国に向け、ついに2001年9月11日の史上最悪の米国へのテロ攻撃となる。
サウジ出身のウサマ・ビンラーディンを指導者とする国際テロ組織「アルカーイダ」制圧のために行った米国のアフガニスタン進駐は、昨年まで20年に及び、歴代の米大統領の政治的重荷となったが、ついにバイデン氏は昨年、アフガンから「拙速」に撤退する。近年、西側での環境意識の高まりで化石燃料向け投資が激減する中で、石油産出国サウジとの関係も疎遠になる一方と見られていたところ、ウクライナ戦争が勃発した。これですべてが変わった。7月末には、これまで欧州からも接触を避けられていたサウジ皇太子は、フランスのマクロン大統領から夕食に招待される。
石油増産で成果がなくても、バイデン氏のサウジ訪問が、混迷する中東情勢と米国が新たに向き合う姿勢を示すものなら評価できる。イラクやアフガンでの米国の苦い経験からすれば、今後は「政治秩序の確立」を最重視する新しいアプローチが必要だ。
現在の中東の不安定は、統治機能を喪失した国が多く存在することによる。その一つの原因は、米国がアフガニスタンやイラクで、強権政治の道具となった官僚、軍隊、警察などの旧組織を、西側の理想を反映した新組織に置き換えようとしたことだ。社会的、宗教的な分裂が深刻な社会で、旧組織は曲りなりに統治できていたのに、経験に乏しい新組織は統治機能を確立できなかった。それでこれらの地域は政治的空白となる。
強い統治機能を持つ政府が不在の場合、同様な政治的空白がリビア、シリア、イエメンなどでも発生した。そうした政治的空白にイスラム過激派が入り込み、シーア派とスンニ派のセクト闘争が激化する。さらにこうしたセクトが、宗派対立する大国イランとサウジや、ロシア、トルコなど勢力拡大を狙う軍事大国の支援を求めたことで内戦が拡大する。
この経緯を踏まえ、米国は人権重視にこだわらず、統治機能を確立した国との関係をまず強化し、それを足場に、外交ルートで他の統治機能を持つ国との関係改善を志向するべきだ。反対派の弾圧や大量処刑が批判されるサウジだが、それにより皇太子は統治機能を強化した。最大のエネルギー資源を持つサウジとの関係を強化できれば、次にその最大のライバルであるシーア派のイランとの関係改善が浮上する。
イランの核兵器保有はイスラエルからの先制核攻撃を招きかねず、その抑止策は中東の平和に最も重要だが、その際米国は、イランの核保有には核保有で対抗する意思を表明するサウジの合意も得る必要がある。
強権主義のロシアへの対抗のために、強権主義のサウジと手を結ぶのは矛盾のようだが、現在の最大の課題は、軍事行動によって欧州の安全を脅かすロシアを止めることにある。すでにロシアは中東で、軍事支援によりシリアのアサド政権を強化することを通じ、エネルギーの宝庫への進出の足掛かりを確立した。ウクライナ戦争がエネルギー戦争でもある以上、西側にも中東戦略が不可欠だ。
(読売新聞『竹森俊平の世界潮流』2022年08月05日号より転載)
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