「真に必要な事業」とは?

2008/06/23 中尾 健良
道路
地方自治体

昨今の道路財源を巡る議論の中で、「切り捨てられる」という地方都市の懸念に対して、「真に必要な道路は造る」という説明が行われている。全国的に注目を浴びる大阪府知事も「必要なものは残す」と説明されている。
確かにその通りだが、この「真に必要な」という部分が国民にとって、分かりづらいものになっていると思う。ざっと思いつくだけでも「誰にとって」、「何のために」、「何をもって」という疑問符だらけである。
リサーチの現場に身を置くわれわれにとって、大きな課題であるとともに、この哲学を造りあげるということは避けては通れないと思っている。自治体の企画・経営の担当者もずいぶんと頭を痛めているように聞いている。
必要性の根拠のひとつにB/Cが挙げられよう。ただし、これは万能ではなく、例えばシビルミニマムへの対応という点では十分な回答にはならない。また、環境問題への対応、数百年に一度という災害への備えは正確に貨幣換算できるのだろうかという疑問がある。B/Cが評価手法のひとつとして優れた点があることは認識しているが、これが非常に高いからといって、その事業が必要であるとは限らない。このことからもB/Cは必要性を示す根拠としては限界があるように思う。
「真に必要なもの」を論じるにあたって、例えば、「誰にとっての?」を考えると、国が考える必要性と地方が考える必要性は異なると思う。国は全国複数都市の相対比較の中で優劣をつけるであろうし、地方は他事業や代替手段とのトレードオフを考えて優先順位を講じる必要がある。地方の論理と、国の論理との間でねじれが生じるのは当然で、地方は国とは異なる思考スキームを持ってしかるべきである。
また、必要性を論じるにあたって、「何のために?」という部分は非常に重要である。言わば、どのようなビジョンを描いているのか、ということになろう。将来、スポーツ選手になりたいのか、音楽の先生になりたいのかで、必要とする教養や訓練が異なってくるのと同じで、掲げるビジョンによって必要な事業や施策は異なる。そして、組織はそれに倣うし、資源配分(事業採択・予算配分)もそれに倣うことになる。
「真に必要な」が分かりづらいものとなっている理由の1つに、「誰にとって」、「何のために」という点に関する合意が無いからだと感じている。私は大規模社会資本の整備効果の検討に関する業務に携わることが多いが、大規模社会資本整備事業は地域活性化にとって万能ではなく、必要条件(手段)であるということを感じている。地域にとっての必要性とは施策目的と両輪の関係であり、実施した事業・施策に効果があったかどうかを判断するのは、あくまでも戦略に照らし合わせて判断することになる。
合わせて、ビジョンや価値観の共有もしくは合意形成が非常に重要である。それに照らし合わせれば、優先順位付けのルールは自ずと決まってくるだろう。それは地域の数だけ存在し、実に多様なものになるはずだ。

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