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国債を巡る危険な楽観論

2019/06/20
五十嵐 敬喜

日本の国債は家庭内借金?

2019年3月末時点で「国の借金」は1103兆3543億円、18年度末に比べて15兆5414億円増えた。深刻な事態だが、こんな反論もよく耳にする。国債は国の負債ではあるが、それを保有している人には資産だ。わが国の国債はその9割以上を日本人が保有しており、いわば家庭内借金のようなものだ。将来、返済される際には、日本の中でお金が右から左に動くだけだから問題ない、と。
本当にそうか。具体的に考えてみよう。政府が国債を発行して、お金を調達する。国債を買うのは日本人だ。政府はそれで得たお金を支出する。そのお金を受け取るのも日本人だ。国債を買う人は、持っていたお金を手放して国債を手に入れる。お金も国債も、その人にとっては資産だから、資産の中身が変わるだけで、保有する資産の額は増えも減りもしない。一方、財政支出を受け取る人は、受け取った分だけお金(金融資産)が増える。全体を見ると、国債発行という手段を使って、当面お金を使う予定のない人の現金が、今お金を必要としている人に渡り、国民全体の資産は増えている(同時に政府の負債が増えている)。
国債が償還されるときには何が起こるか。政府は国民から徴税したお金を国債の保有者に渡して、国債を償還する。徴税された人の金融資産はその分、減少するが、国債の保有者の資産は不変だ。国債という資産が償還されてなくなり、代わりに償還金を受け取るからだ。結果として、国民全体の資産が減少する(同時に政府の負債がなくなる)。 国債の発行、償還の全過程でみれば、確かに国内でお金が右から左に流れただけだし、国民全体の資産額は不変だ。しかし、そこには時間差がある。財政支出を受け取って資産を増やすのは現役世代であり、徴税されて資産を減らすのは将来世代だ。とくにその国債が、建設国債ではなく赤字国債である場合、将来世代の負担で現役世代が一方的に恩恵に浴することになる。果たして正当化できるだろうか。

「統合政府」という誘惑

上で述べたのは、国債が市中消化されるケースだ。最近は、いったんは市中消化された国債を日銀が大量に購入するという事態が生じている。ラフに言って1000兆円に上る国債発行残高のうち、日銀の保有額は470兆円を超えている。そこへ登場したトンデモ論が「統合政府」というアイディアだ。
中央銀行である日銀は政府の一員でもあるから、政府と日銀を「一体化した存在」として捉えようというものだ。そうすると日銀が保有する国債は統合政府の資産となり、政府が発行した国債は統合政府の負債ということになる。そこで両者を相殺すれば、500兆円近い国債を消すことができる。おかげで財政状況が一気に健全化するというのだ。そんなうまい話があるのだろうか。
先ほどの問題もそうだが、金融の問題はバランスシートで考えるとよくわかる。まず政府だ。国債を発行して資金を得ると、政府のバランスシートは負債側に国債、資産側に現金が計上される。政府が、この現金を支出すると、資産側から現金が消えて、負債側の国債発行だけが残る。しかし、これでは左右がバランスしないので、右側の資本の部に「債務超過」というマイナス項目が計上されることになる。実際、財務省のホームページを見ると、国のバランスシートの資本の部に「資産負債差額」としてマイナス計上されている。 一方、日銀のバランスシートを見ると、資産側に購入した国債が計上され、負債側には「日銀券発行額」が計上されている。そこで、政府と日銀のバランスシートを合体して国債を相殺すると、統合政府のバランスシートでは、資産側には何も残らず、負債側に「日銀券発行額」と資本の部に「債務超過額」が計上されることになる。
発行された通貨は統合政府の負債だ。1万円と印刷された紙が通貨としての価値を持つためには、何らかの裏付けが必要だ。日銀が紙幣を発行する場合は、資産側に計上されている国債が通貨価値を担保していた。しかし、その国債が消されてしまった後は、通貨価値を担保するのは政府の「債務超過」ということになる。これはどう考えればいいのだろうか。

うますぎる話にはご用心

政府単独のバランスシートに「資産負債差額」がマイナス計上されているのは上で指摘した通りだが、それが許されているのは、政府には「徴税権」という隠れた資産があるからだろう。バランスシートには計上されていないが、いざとなれば政府は国民から資産を強制的に取り立てる権限を持っているから、債務超過状態を続けていても許されるという理屈だ。
しかし統合政府のバランスシート上にあるのは、通貨発行高という負債と債務超過というマイナスの資本だ。統合政府が債務超過を清算する方法は徴税だが、それは国民が保有している現金を奪うことにほかならない。470兆円の債務超過が消える際に、470兆円の現金を国民が失うということだ。
政府と日銀を一体化して捉えれば、発行済み国債のうち日銀が保有している分を消すことができるという考え方は、同額の現金を国民が失うという代償を伴う。これまで現金という言葉で説明してきたが、より一般化して言えば預金のことである。そうなると、これは聞いたことがある話と同じであることが明らかになる。そう、「預金封鎖」だ。「フリーランチはない」、つまり、世の中にはただのものはないという格言を持ち出すのが適当なのかどうかよくわからないが、うますぎる話には用心しろということの典型であるのは間違いないところだ。
ただし本稿の結論は、国債は地道に減らしていくしかない、ということではない。現実的に考えれば、国債の残高を減らしていくのは無理だ。残高の増加をできるだけ抑制しつつ、経済成長を実現させて、GDP対比の国債残高の比率を徐々に引き下げていくしかない。それほど厳しいのが今の姿なのだから、「家庭内借金」説にしろ「統合政府」論にしろ、安易な楽観論は害でしかない。

(三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2019年5月17日より転載)

調査部
研究理事
五十嵐 敬喜

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