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救済の対象は個人を中心に

2020/06/12
五十嵐 敬喜

◆本来、国にお金があるわけではない
今は、「想定外」という言葉では表しきれない、「過去に経験したことがない」とか「100年に1回あるかないかの」という表現が当てはまるほどの危機だ。有効性が確認された治療薬も、ましてワクチンもない未知の感染症が広がっている。古典的な「ロックダウン」で一時的に感染を抑え込んでも、第2波、第3波がもっと大きな波で襲ってくる可能性は否定できない。おかげで経済活動の落ち込みようは、2011年の東日本大震災や2008年のリーマンショック時を上回るのは確実な情勢にある。
こうした時は、得てして勇ましい意見を「言ったモン勝ち」になりがちだ。需要がいきなり蒸発したために、売り上げを失ったり、職を失ったりして、悲惨な状況に追い込まれた人が数多くいるのだから、「国(政府)は財政状況なんか度外視して、とことんこの人たちを救済すべきだ」「ぐずぐずしている余裕はない。とにかくスピードが第一だ」「補正予算も、第2次、第3次が必要だ」といった具合だ。
とはいえ、数学で言うなら公理にあたるような、すべての議論が拠って立つべき土台にあたるものを無視するわけにはいかない。それは「本来、国にお金があるわけではない」という事実だ。国民からお金を集めて、それを国民に配るのが国の財政の仕組みだ。配るお金の額を、集めた額以上に膨らませる力が国にあるわけではない。ただ、先々に集めるはずのお金まで今集めたことにして、今のうちに使ってしまうこともできなくはない。「国債を発行」すれば、それが可能だ。

◆本来、救済資金を負担するのは我々だ
本来なら、困っている人たちを「政府が助けるべきだ」という主張は、「我々みんなで助けるべきだ」と主張することと同義だ。政府にお金はないのだから、国民から別途お金を集めて、それを救済資金に充てることになる。具体的には、「臨時の増税」をするのが適当だろう。これに対して「赤字国債」を発行すればいいじゃないかという主張は、我々は一切負担せず、将来世代の負担で救済を受けようと言っていることになる。
赤字国債を発行して救済資金を調達することが正当化できるのは、その救済が我々だけでなく、将来世代にとっても必要かつ望ましいものである場合だ。たとえば、新型コロナのせいで親が失業し、その子弟が就学や進学を諦めざるを得なくなったりすれば、そしてそうしたケースが多発すれば、子弟個人のみならず、将来世代全体にとって不幸なことだ。そうした事態を回避するためには、赤字国債を発行して救済費用に充てるべきだと言えるだろう。
先月の本欄で、事業者の救済は「融資」を主体にすべきだと書いた。「休業を要請するなら補償すべきだ」という主張はもっともだが、困窮している事業者の事情は様々だ。厳しい言い方になるが、すべての事業者を無条件で救済することは望ましくないと思う。マクロで見て、そもそも利益が出ない事業者が極めて多い構造を変えていかないといけない。今後も、今回のような危機に繰り返し遭遇する可能性は小さくないと思われるだけに、経済が益々じり貧になりかねない。いつまでも「国が金を出せばいい」といった他人事のような議論が通用するとは思えない。

◆救済の主たる対象は個人であるべきだ
救済は個人を主たる対象にすべきだと思う。企業が破綻して失業しても、個人は生活を続けていかなければならないし、次世代にバトンを引き継ぐ義務があるからだ。いきなり収入を失ってしまった人たちを冷たく見放すわけにはいかない。しかも、ことは急ぐ。
そこで出てきたのが「一律10万円」の給付金だ。ただし景気対策ではないので、総額12~13兆円に及ぶ財政支出で景気を浮揚させようという話ではない。好きに使ってもらえばよいのだ。ただ、今回の危機の規模からして、1回の支給では足りないだろう。複数回やらないといけないのではないか。
そうなると問題になるのが「公平性」だ。危機とは言え所得が減ったわけでもない人たちにまで給付するのか、まして10万円どころか何十万円ものお金を、無条件に給付することが正当化されるのか、といった疑問が出てくる。この点については、高所得者からは支給額をそっくり取り返せばいいと思う。例えば課税対象所得が800万円の人の所得税は、「800万円×0.23-63.6万円」で計算して120.4万円になる。10万円を取り返すには、定額控除額の63.6万円を53.6万円にすればよいだけだ。また、年金をもらっている人たちからも返してもらう必要もある。いずれにしろ、一律の給付額が大きくなるほど、公平性を担保することが求められるだろう。

◆国債は将来世代の資産でもあると言えるのか?
国債は国(=国民)の借金であると同時に資産でもある。したがって、赤字国債の発行は将来世代に負債だけを引き継ぐわけではない、という議論がある。この主張は正しいだろうか。
我々が将来世代に国債を引き継ぐとして、「将来世代」と「(将来世代の)政府」という2つの主体のバランスシートで考えてみよう。将来世代のバランスシートの資産側には国債が計上されている。引き継ぐ負債はないので、資産に見合う資本(=純資産)が引き継がれると考える。他方で、政府のバランスシートの負債側には国債がある。資産はないので、負債に見合う債務超過額が計上されることになる。
さて、国債が償還される時に何が起こるか。将来世代が徴税され、その金で国債が償還される。徴税される将来世代の現預金が、国債を保有している将来世代に移転して、国債がなくなる。将来世代全体のバランスシートでは、資産側の国債がなくなる一方、資本(=純資産)も減少する。政府のバランスシートでは、負債である国債と債務超過が同時になくなるわけだ。
以上の結果、将来世代は、国債の償還時にその額に見合った資産を失うことになる。これは、国債の発行時に、我々が発行額に見合った資産を得ているせいだ。両世代のバランスシートを合わせれば、政府は国債を発行し、後に償還してチャラ、民間は最初に資産を得て、後にそれを失ってチャラとなる。ただ、国債発行を通じて、我々が将来世代の資産を奪ってしまうという事実は動かせない。

(三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2020年5月14日より転載)

調査部
研究理事
五十嵐 敬喜

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