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AIは人間を支配するか

2019/12/10

ホモ・サピエンス(現生人類)が今日のような高度文明を築くことができたのは、紛れもなく「技術」のおかげである。しかし、21世紀に入って、AIや生命科学の飛躍的発展で、「技術が人間を支配するようになる」のではないかという懸念が生まれてきた。 ルチアーノ・フロリディは『第四の革命』の中で、現代世界は「情報圏」に覆いつくされ、人間はその「情報圏」の中に漂う「情報有機体」として、右から左へと情報を処理し、流している他律的な存在にすぎない、と述べた。彼によれば、人間は「情報圏」の一つのエージェントにすぎず、もはや世界を自らの意思で変えていくことのできる自律的な存在ではなくなったというのである。
確かに、現代人は朝から晩までスマホに依存し、様々なレコメンデーションを受けながら、その指示に従って生活している。あるいは、ゲノム編集によってデザイナー・ベビーが生まれる可能性が高まり、再生医療の発展で不老長寿が実現しつつあると言われているが、それらは人間がサイボーグ化することであり、すべてが人工化するという意味で「ホモ・サピエンスの終わり」を意味しているのではないか、というわけである。 では、本当に、AI(や生命科学)は人間を支配し、消滅に至らしめるような存在なのだろうか。それは正しい歴史理解なのだろうか。
私の理解では、人間がよほどぼんやりしていない限り、そのようなことは起こりえない。そもそも、ホモ・サピエンスの歴史とは、人間が様々な技術を開発し、それを社会に組み込むことで過酷な自然の変化に適応してきた歴史、あるいは、自然そのものを自分たちの都合のいいように組み替える歴史であった。都市というのは、人間を自然の脅威から守るための技術の集大成である。動物は、自然環境の変化に対応するといっても、技術がないので、その対応能力の幅はたかが知れている。動物には都会を創る能力などない。
別の言い方をすれば、人間の歴史とは「サイボーグ化の歴史」であった。我々の身体や社会は様々な技術によって支えられている。あらゆる種類の薬や予防接種、インプラントや白内障手術、自動車や飛行機、新幹線、インターネットなどなど、我々の身の回りに存在し、構築された人工物の山を考えてみれば、そのことは一目瞭然だろう。
したがって、「人間が技術を制御するのか、または、技術が人間を支配するのか」という「技術」と「人間」を分けて考える二分法的発想には無理があると言わざるを得ない。両者は密接不可分に結びついており、あくまで相互補完的である。
大切なのは、人間と技術がどのような形で共存することが人間にとって望ましいのか、考え続けていくことである。技術は人間の外にあるわけではないし、人間も技術の外側にいるわけではない。人間は技術を生み出したが、その技術が今度は人間自身を変えていく。これが人類の歴史であり、文明の内実なのだ。技術が人間の中にあり、人間がその技術の中に存在する。この2重の構造こそ、技術と人間の関係を考える際の出発点でなければならない。
つまり、繰り返しになるが、人間が技術を制御するのか、逆に、技術が人間を支配するのか、という二分法では、問題の本質は見えてこないということである。技術を危険なものとして否定することでも、技術を無批判に礼賛することでもない。これから最も重要になるのは、私たちが技術とともにどのような社会を築きたいのかという「道徳観」であり、「哲学」なのだ。

【参考文献】ルチアーノ・フロリディ『第四の革命』(新曜社、2017年)

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