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二人のシャビと一つのスペイン

2010/10/08
太下 義之

~FIFAワールドカップに見る文化多様性~

1.はじめに:二人のシャビ

 アフリカ大陸での初めての開催となった2010FIFAワールドカップ(2010 FIFA World Cup South Africa)において、7月11日の決勝戦では延長戦の末にスペインがオランダを退けて初優勝した。
 この優勝したスペイン代表チームに、”シャビ”という同じ名前の選手が二人いたことを記憶している方も多いであろう。直前の文章で「”シャビ”という同じ名前」という表現を使ったが、実は正確に言えば、日本語の表記では二人とも”シャビ”と同じであるが、実際のスペルは異なっている。
 二人の”シャビ”のうち、一人はシャビエル・アロンソ・オラーノ (Xabier Alonso Olano;通称シャビ・アロンソ)であり、もう一人はシャビエル・エルナンデス・クレウス(Xavier Hernández Creus;通称シャビ)である。
 両名の名前を眺めていただければお分かりのとおり、一方はXabierでいま一方はXavierとなっており、日本語では同じ”シャビ”という表記であるが、実際はスペルのうえでbとvの違いがある。
 ちなみに、シャビ・アロンソは銀河系軍団レアル・マドリードに所属するミッド・フィルダーの選手である。同選手はスペイン・バスク自治州の出身で、「バスクの星」とも呼ばれている。
 もう一人のシャビは、FCバルセロナに所属する、やはりミッド・フィルダーの選手で、代表チームでは中盤の他の3人の選手(イニエスタ、ダビド・シルバ、セスク・ファブレガス)と共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者)」と呼ばれている。そして、こちらのシャビはカタルーニャ自治州の出身である。
 例えば「日本代表」の選手たちをみても、その出身とする地域はさまざまであり、二人のシャビの出身地が異なること自体はとりたてて論じるべき事項ではないが、その地域が「バスク」と「カタルーニャ」であることは、現在のスペイン社会の文化多様性を理解するうえで、極めて重要なことである。
 そこで以下において、(1)サッカー、(2)言語、(3)地方自治、の3つの視点から、けっして単一の存在としては語ることができない、スペインの文化多様性を概観してみたい。

2.一つではないスペイン

1.サッカーにおける多様性

 シャビが所属する「FCバルセロナ(愛称:バルサ)」は、地元において「単なるクラブ以上の存在」と呼ばれている。このような位置づけとなった背景には、カタルーニャ及びバルサ自身の歴史が絡んでいる。
 実は、フランコによる独裁政権時代(1939年~1975年)においては、カスティーリャ語以外の言語(カタルーニャ語やバスク語などの地方語)を公の場で使用することは大幅に制限された。
 一方、1957年にバルサのホームである「カンプ・ノウ(Camp Nou)」スタジアムが完成した際に、正式な名称としてカスティーリャ語で”Estadi del Futbol Club Barcelona”と名づけられたが、当時の新聞・雑誌は使用が禁止されていたカタルーニャ語で「カンプ・ノウ(「新しい球場」の意味)」と表記し続けたのである。
 また、1972年からは、同スタジアムでの館内放送がカタルーニャ語でアナウンスされるようになった。公の場でのカタルーニャ語の使用は基本的に禁止されていたはずであるが、独裁政権末期の当局としては、もはや容認せざるを得なかった事態であったと推測される。
 こうしたカタルーニャのアイデンティティに密接に関与するという歴史を背景として、バルサは「単なるクラブ以上の存在」と呼ばれているのである(注1)。
 また、バスクのサッカーも独特の世界をかたちづくっている。バスク地方ビルバオ市に本拠を置くクラブ「アスレティック・グルブ・デ・ビルバオ」は、バスク人のみのサッカー・チームとして有名である。
 実際には、幼少時からバスクで育ったことがある、または、祖父母がバスク人であれば海外からの入団も認められるなど、”バスク人”の定義は拡大しつつあるようであるが、サッカー選手の移籍がグローバル化する中で、同クラブの”純血主義”は極めて異色の戦略であると言えよう(注2)。
 このように、カタルーニャやバスクにおいては独自のサッカー文化が根付いており、これらの地域の人々が「ラ・ロハ」(赤色の意味であり、サッカー・スペイン代表のユニホームの色であることから、同チームの愛称となっている)に熱狂することは、今まではほとんど無かった、と言われている。

2.言語における多様性

 スペインの公式言語はスペイン語(カスティーリャ語)であるが、自治州(下記(3)参照)によってはその州の言語が公用語として併用されている。
 カタルーニャ語については、前述したとおり、フランコ独裁政権の時代においてはFCバルセロナのホームスタジアムであるカンプ・ノウの場内放送が黙認されていたことを除いて、公の場では使用が禁止されていたという歴史がある。
 また、系統不明の孤立した言語と言われるバスク語も同様にフランコ独裁政権の時代において使用が禁止されていた。しかし、1979年の自治憲章において、カタルーニャ語及びバスク語はそれぞれの自治州の公用語であると宣言され、公的な地位を回復したのである。
 こうした背景のもと、バルセロナ市の現在の文化政策”New accents 2006″においては、社会的一体性の維持を目的として、カタルーニャ語の振興が重要な項目として掲げられている。具体的には、言語を通じた社会参画のための施設「言語受容センター」や、言語の持続可能性のためのプラットフォーム「言語の家(Casa de les Llengues)」が整備されている(注3)。
 また、バスク自治州では、バスク語使用の維持・回復を目的として「バスク語使用正常化法」が1982年に施行された。そして、「言語政策局」が中心となって、カスティーリャ語とバスク語のバイリンガル教育が推進されている。また、同教育のために、現職教員のバスク語能力養成とバスク語教材の確保(コスト削減と質の維持)のための支援が行われている。こうした振興の成果もあり、バスク語人口は近年増加傾向にあるとのことである(注4)。

3.地方自治における多様性

 スペインでは広範な地方自治が保障されており、その代表的な地方自治制度として、17ある自治州をあげることができる。この自治州とは一つまたは複数の県が「歴史的、文化的背景を基に自発的に集まって創設した自治単位」(注5)のことである。
 自治州は、州内に適用される条例を決める権限を有する議会を持ち、その議員は普通選挙で選出されている。自治州政府は行政執行機関であり、州知事は自治州議会で選出されている。各自治州は財政面から見ると独立しているが、中央政府の予算から交付金も受領されている(注6)。
 17の自治州のうち、カタルーニャ、バスク、ガリシアの3州は、第二共和制期(1931年~39年)に「自治憲章」を住民投票で承認した経験を有している。このため、フランコ独裁を経た1978年の憲法制定後に、住民の自治に対する意思が”歴史的”に確認されているとして、迅速かつ簡便な手続きのみで「自治憲章」を制定し、自治州に移行した。こうした経緯のもと、上記の3州は「歴史的自治州」と呼ばれており、その中でもカタルーニャとバスクの2州はスペインで最も早く(1979年12月18日)、自治州に移行している(注7)。
 現在の自治州においては、徴税権の拡大等、更なる権限委譲を求める動きが見られる。例えば2006年8月に新たなカタルーニャ州憲章改正法が発効したが、同法がカタルーニャを”nation”と規定している点等が違憲だとして、野党などが憲法裁判所に提訴していた。2010年6月、憲法裁判所は、本件に関して違憲として無効を宣言している(注8)。
 また、バスク地方の分離独立を目指す民族組織「バスク祖国と自由(ETA)」は今まで数々のテロ事件を起こしており、スペイン及び国際的な政治問題となっている。
 上記のように、二人のシャビの出身地であるカタルーニャとバスクは、それぞれがスペインの文化多様性を象徴する地域であるが、特にシャビ・アロンソの出身地であるバスク自治州は、日本人にとってあまりなじみが無い地域であると思われる。
 ただし、近年の文化政策において重要な概念となっている「文化多様性」を考えるうえで、このバスク地方は興味深い題材であるので、この小文の後半ではバスクを中心として、文化多様性について論じていきたい。

3.バスクとは

1.バスクの概要

 バスク自治州はスペイン北部、ビスカヤ湾に接するという恵まれた地形にあり、欧州主要国へのアクセスの良い場所にある。同州の人口は2,157,112人、そのうち約42%はグラン・ビルバオ(ビルバオ市とネルビオン川沿いに隣接する市町村)に住んでいる。また、最近公表されたデータによるとバスクは、マドリッド州・ナバーラ州と並んで、人口あたりの所得が最も大きい州で、スペイン平均の30%以上も上回っているとのことである(注9)。
 また、「バスク地方」と言う場合、バスク人の歴史的な居住地を指し、その領域はバスク自治州を含んで、スペインだけではなく、フランス(フランス・バスク)にもまたがって広がっている。

2.バスク出身の有名人

 さて上記の文章で、バスクは「日本人にとってあまりなじみが無い」と書いたが、一方で日本人にとっても馴染みのあるバスク出身者もいる。
 日本人にとって最も有名なバスク出身者は、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)であろう。ザビエルは、歴史的にはバスク地方の一部と見なされているナバーラ州の出身である。ちなみにザビエルという名前は、上述したサッカー選手のシャビと同じスペルである。
 バスク出身の音楽家で有名人もいる。ジプシー(ロマ)の民謡の旋律が印象的な『ツィゴイネルワイゼン』が代表作となる作曲家でヴァイオリン奏者のパブロ・デ・サラサーテ(Pablo de Sarasate)は、バスク地方パンプローナの生まれである。また、バレエ音楽『ボレロ』の作曲や、『展覧会の絵』のオーケストレーションで知られるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)はバスク系フランス人である。
 また、バスク系アルゼンチン人には、二人の有名な政治家がいる。一人はアルゼンチンの映画俳優であり、フアン・ペロン大統領のファーストレディであり、また政治家でもあるエバ・ペロン(Eva Perón)である。彼女は、アルゼンチン国民からは親しみを込めて「エビータ(Evita)」という通称で呼ばれており、同名のミュージカルや映画は日本でも公開されている。もう一人のバスク系(及びアイルランド系)のアルゼンチン人は、キューバのゲリラ指導者チェ・ゲバラ(Che Guevara)である。
 その他、人物ではないが、スペインのバスク自治州ビスカヤ県の都市「ゲルニカ」は、パブロ・ビカソによる同名の作品が彼の代表作の一つとなっていることで有名な都市である。ゲルニカは、スペイン内戦の際に史上初の都市無差別爆撃をドイツ軍によって受けた。そして、ピカソがこの悲惨な事実を知り、憤怒をこめて描きあげた作品が上述した『ゲルニカ』である。

4.創造都市ビルバオ

1.ビルバオの文化による都市再生

 バスク自治州の中心都市であるビルバオ市(ビスカヤ県)は人口45万人、周辺の市町村を含めると100万人規模の都市圏を構成している。同市は19世紀後半から「製鉄の町」として盛え、また1950~1960年代には造船、石油化学工業等の重工業を中心に発展した。しかし、1970年代以降は日本と同様に重厚長大産業の衰退が著しく、同市の都市活動も停滞していった(注10)。
 こうした背景のもと、1989年にバスク州とビスカヤ県が共同で策定した「ビルバオ大都市圏活性化戦略プラン」において、ビルバオ市は都市再生を進めるにあたり、8つの主要課題の一つとして「文化的な中心の創出」を掲げた。そして同プランに基づく都市再生プロジェクトの中でも特に注目されるのは、1997年に建設された「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」(Museo Guggenheim Bilbao)である。

2.ビルバオ・グッゲンハイム美術館

 「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」は、アメリカのソロモン・R・グッゲンハイム財団の設立した「グッゲンハイム美術館」(ニューヨーク市)の分館の一つであり、現代美術を中心とする作品が展示されている。
 ちなみに、グッゲンハイム財団は当初、上述したピカソ作『ゲルニカ』をマドリード市のプラド美術館からビルバオに移転して展示することを条件に同美術館の建設に同意した、とされる(注11)。
 同美術館の建築設計はアメリカの建築家フランク・O・ゲーリーによるもので、1997年の開館時には、その特徴的な外観と、バスク自治州政府が負担した約1億3000万ユーロ(注12)という巨額の建設費用が大きな話題となった。
 そして、この「グッゲンハイム効果」により、もともとは工業都市であったビルバオに急激に観光客が押し寄せるようになり、開館翌年度の1998年に130万人、直近の2009年には約90万人の入場者数を記録している。
 このような観光客の増加は、地域の経済活動に大きな経済波及効果をもたらしている。「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」の資料によると、同美術館の活動によってもたらされた直接支出は、2009年に約2億451万ユーロに達した。この直接支出は、スペイン全体における約1億8558万ユーロのGDPとバスク自治州における2527万ユーロの税収を増大させる効果を誘発した。また、合計3,695名分の雇用を維持することにも貢献した(注13)。
 このうち、税収効果だけに限定しても、開館から5年後の2002年には累計で約1億4352万ユーロに達しており、巨額と評価された建築費(1億3000万ユーロ)をわずか5年という短期間で回収できたことを意味している。

図表 「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」の経済波及効果(単位:ユーロ)

「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」の経済波及効果(単位:ユーロ)

(資料)”Impact of the activities of the Guggenheim Museum Bilbao on the Basque regional Economy in 2009″をもとに筆者作成

5.おわりに:文化多様性の次にあるもの

 以上のように、極めて特徴ある政策を展開しているバスク自治州(およびカタルーニャ州)であるが、「ラ・ロハ」と呼ばれるスペイン代表チームのW杯優勝を契機として、その地域主義にも変化の兆しがみられ始めている。
 例えば、現地の報道においては「決勝戦の日、カタルーニャの州都バルセロナでは初めてパブリック・ビューイングが催され、多くの人々が赤いシャツを身に着け、スペイン国旗を振って”ラ・ロハ”を応援した。これは今までなら考えられない事態だ」(注14)と報じている。
 国家よりも地域や民族へのアイデンティティが重要であるバスク自治州やカタルーニャ自治州の存在は、スペイン全体としての文化多様性を生み出してきた。一方で、2010年の”ラ・ロハ”の優勝は、民族や言語の壁を越えて、スペイン全体としての一体感、団結するという価値を顕在化させたようである。
 もしも、文化多様性を踏まえた、国家全体としての連携・協働の可能性をスペインの市民たちが提示することができれば、かつて「太陽の沈まない国」と呼ばれた時代のように、同国の新たな発展も期待できるのではないであろうか。

 


(注1)カルラス・サンタカナ・イ・トーラス.”バルサ、バルサ、バルサ! スペイン現代史とフットボール”.彩流社,2007.
(注2)竹谷和之.”近代スポーツとバスクアイデンティティ”.神戸外大論叢,57, p445-459, 2006.
(注3)太下義之.“創造都市バルセロナの文化政策~文化と経済が共に発展するための戦略~”. 政策・経営研究、2008vol.1, 2008,p19-54..
(注4)石井久生.“バスク自治州におけるバスク語人口の地域的動態とその諸要因”.地學雜誌,112, 2003,p73-94.
(注5)財団法人自治体国際化協会.“スペインの地方自治”.2002.
(注6)スペイン大使館Webサイト
(注7)財団法人自治体国際化協会(2002)
(注8)外務省Webサイト
(注9)バスク自治州Webサイト
(注10)経済産業省.“通商白書2004”,2004,p121-123.
(注11)渡部哲郎,”バスクとバスク人”,平凡社新書,2004.
(注12)1€=110円で換算すると、約143億円。
(注13)“Impact of the activities of the Guggenheim Museum Bilbao on the Basque regional Economy in 2009”.
(注14)ハビエル・タマメス.“スペイン代表が母国にもたらした団結”,OCNスポーツ サッカーコラム.

経済政策部
主席研究員
太下 義之

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