政策・経営研究39号最終
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環太平洋パートナーシップ(TPP)協定2季刊 政策・経営研究 2016  vol.3たとえばルーブル美術館所蔵の「ミロのヴィーナス」像には腕がない。右腕は上腕部で切れており、左腕は付け根からもぎ取られている。つまり、完全な形の裸像を見ることはできない。しかし、逆説的だが、もし完全なヴィーナス像が現代まで残っていたとしたら、ミロのヴィーナス像がこれほどまでに多くの人を魅了することはなかったのかもしれない。欠落した部分があることによってそれがわれわれの想像力を掻き立て、ヴィーナス像を一層魅惑的なものにしたのではないだろうか。『徒然草』第137段には、「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」とある。桜は満開の時だけ、月は満月の時だけに見るものだろうか。そうではない。それでは風流ではない、というわけである。「普遍性」と「個別性」という概念は、ビジネスの世界でも適用できる。個々の企業の競争力というのは、普遍的なルールに則り、その機能的・効率的な利点についてはそれをしたたかに利用しながら、いかに独自の(個別的な)強みに磨きをかけるかという点にかかっている。個々の企業までがひたすら普遍性を追求するならば、それは自滅行為になるであろう。なぜなら、その企業は他の競争相手との「差異化」に失敗してしまうからである。このことは「グローバリゼーション」と「ローカリゼーション」との対比にも通じる議論である。グローバル化が進めば進むほど、他方でローカルな文化に固執しようとするのは人間の常である。普遍的な価値やルールが浸透すればするほど、それに反発するかのようなローカルな考え方が生まれてくる。イデオロギー的に見ると、コスモポリタン志向の強い人はグローバル化の重要性を説き、ローカルな文化を軽視しようとするが、ナショナリズム志向の強い人はローカルな事物の重要性を強調しようとするあまり、逆にグローバル・スタンダードが持つ普遍的な側面を無視しようとする。しかし、大事なのは、「普遍性」と「個別性」のバランスである。グローバルな世界にも通じ、そこでの普遍的なルール(公正な競争ルール、国際会計基準等)をうまく活用しながら、ローカルな文化が持つエネルギーを自身の創造力の源泉にする、という考え方が必要である。要は「普遍性」と「個別性」のバランスこそ重要なのであって、どちらかに偏りすぎると成功はおぼつかないということなのではないだろうか。日本という国の歴史を振り返ってみると、ほとんどの時代において、日本人が「普遍性」と「個別性」の間をさまよい、両者の均衡をどう保つかということに専ら苦心してきたことが分かる。生涯にわたって、日本人のアイデンティティを探し続けた本居宣長はこのテーマにこだわり続けた。そうしてでき上がったのが44巻に上る彼のライフワーク『古事記伝』である。本居宣長は『玉勝間(たまがつま)』の中で次のように述べている。 「漢意(からごころ)とは、漢国のふりを好み、かの国をとふとぶのみをいふにあらず。大かた世の人の、万の事の善悪是非(よさあしさ)を論(あげつら)ひ、物の理(ことわり)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍(からぶみ)の趣なるをいふ也。さるはからぶみよをよみたる人のみあらず、然るには、書といふ物一つもみたる2グローバリゼーション」と「ローカリゼーション」3本居宣長の「からごころ」

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