政策・経営研究39号最終
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地域福祉の担い手の形成条件に関する一考察75(4)組合員参加を軸とする独自のセーフティーネット構築に至る過程50年以上にわたる歴史を持つ南医療生協であるが、1990年代後半から現在までの10年あまりで、地域社会における役割は急速に変化していった。変化とは、医療を主とする事業体から、総合的な福祉サービスの提供主体へと自らを革新させていったこと、これと並行して地域における独自のセーフティーネットを構築していったことを指す。ではこうした変化はどのようにして生まれてきたのか。1)福祉事業への参入に向けた組織内部での検討プロセスまず福祉事業への参入に向けて、南医療生協がどのように検討を重ねていったのか、そのプロセスをみていく。90年代後半、介護保険法の施行を目前に南医療生協においても福祉分野の充実の必要性が言われるようになっていった。しかし医療を中心に事業を推進してきた南医療生協にとって、介護事業への参入には理事層も含め慎重な意見も少なからずあったという。そこで、南医療生協では介護の「事業化」の前に、地域で実際に組合員相互の支え合い活動を広げることと、これと並行して南医療生協が考える今後の福祉事業のあり方について、話し合いを重ねることになった。この結果、2000年から支部単位で福祉活動を広げることを目的に「1支部1福祉運動(通称:いっぷく運動)が始まった。これは、地域の支部ごとに近所の高齢者が気軽に集まり楽しめるたまり場を作るのが目的で、お茶会や食事会、誕生日会、ものづくりのイベント等多様な形態がある。こうした取り組みを踏まえて2003年5月に開催された第40回通常総代会では、2003年~2006年にかけての南医療生協としての活動の方針を示した「組合員・地域の人々との協同でつくる南医療生協の新世紀プラン」(以下、新世紀プランと略称)が示された。同プランでは、事業ビジョンとして「今までの保健・医療のスタンスから、介護・福祉までのトータルな事業複合体づくりを目指す」という方針が示され、「文字どおり、地域で生まれ、育ち、くらし、老後から終末に至るまでの生活文化の質的向上を保健・医療・介護・福祉の分野から事業と運動を統一してすすめていく。」として、プランの冒頭に介護・福祉事業計画を班・支部活動が活発な地域から実現してゆく方針が示された。2004年には、「介護・福祉事業推進百人会議(飛躍人会議)」を開始。これは、当時42あった支部の組合員代表、職場代表、患者会、ボランティア等が参加し1年半にわたり開催されたもので、毎回80名を超える参加者が集まった。この段階での飛躍人会議では、南医療生協による老人保健施設と特別養護老人ホームの建設を目指し話し合いが行われていた。しかし2年にわたり名古屋市に対して建設許可申請を行ったものの、大型老健施設・特養施設の建設が許可されなかった。この経験の後、南医療生協は、支部活動、ブロック活動が活発な地域を中心に、小規模多機能福祉施設を建設するという方針へと舵を切った。2005年度の総代会では、「1ブロック1介護福祉事業づくり運動(通称:いちぶいっかい運動)」が提案された。そのうえで「介護・福祉事業推進百人会議(飛躍人会議)」を「ブロック百人会議」として進化させ、ブロックごとに必要な介護福祉事業とは何か、具体的に検討していった。以下、支部・ブロック単位で福祉活動や施設建設がどのように進展していったか、事例に即して見てゆきたい。2)支部・ブロック単位の福祉活動の進展i)例1:グループホームなも(星崎ブロック)グループホームなもは、南医療生協が初めて取り組んだ介護施設である。全8室の認知症対応型グループホームで2004年に開設された。星崎ブロックは、星崎支部を含む10支部からなるが、グループホームなもは、星崎支部における「1支部1福祉運動(通称:いっぷく運動)」を契機に立ち上げられた。星崎支部では、当初、毎週金曜に定例のお茶会を開催。その後昼食会に発展し、折り紙や食事づくり等をしながら、毎回10数人が集まる会になった。この食事会を主催し

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