政策・経営研究39号最終
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証券化を一歩前から考える87とという前提をつければ(「ちゃんと」の定義は存外難しいが)、あらゆる人が同意できることであろう。しかしある住宅ローンの借入人の集合において債務不履行に到る確率は5%であると統計的に算出された場合、これはいかなる前提において当該集団の示す債務不履行率として本来的であると同意できるのであろうか。このときまず問題なのは統計的に算出された5%という数字よりも「集団」の定義であろう。住宅ローンのポートフォリオを証券化する前段としての分析の場合には、住宅ローンのポートフォリオの本来的債務不履行率や支払遅延率のような数字は当該ポートフォリオが十分大きい場合には簡単に変化しないと前提されている。たとえばこのとき思い浮かぶ疑問として、(イ)集団の性格が簡単には変化しないというときの同一性・近似性とはなにか、(ロ)ポートフォリオが固有の傾向を持つ場合はどうか、等があろう。(イ)数学的・統計的に2つの分析対象となる集団が同一もしくは近似であると認定することは、結局判断に基づく恣意的な結論といえるのではないか。たとえば5分前のチーズの塊と5分後の現時点におけるチーズの塊は同じように見える。確かに今のチーズの塊と5分前のチーズの塊は、たとえば「食事する」という観点でいえば同一と認識できるであろう。しかし化学的状況を精密に計測する必要がある場合には同一とはいえないし、近似といえるか否かも必要とさせる精密度によって異なるであろう。結局近似であるか否かの判断は2つのものの差異・偏差をどこまで無視してもよいかという判断によって決定される。したがって、証券化にあたって数学的・統計的分析によって集団Aと集団A’が近似であるか否かを判断する際には最後のところで恣意性を免れ得ない。上記では比較する集団の性格が同一・近似であるか否かという確率計算における分母の「集団」の同一性について考えたが、もちろん分子である事象の定義についても考える必要がある。たとえばサイコロで1が出る状態はおそらく誰の眼にも明らかで、サイコロで1が出るという事態の定義に疑問の余地はないように思われる。しかし債務不履行はどうであろうか。たとえば、一般的に支払期日に支払いができなくても直ちに債務不履行とは認定されず、その後一定期間を経過しても支払いがなされない場合に始めて債務不履行が認定される。この一定期間はその契約地における慣習的な期間によることが多い。期日に支払いが行われない場合は支払遅延として管理されることになるが、支払遅延と債務不履行の差は社会慣習によって決定された遅延期間の差によって区分された恣意的なものといえるであろう。恣意的な区分ではあるが支払遅延と債務不履行では程度の違う分断された対応が行われる。しかし一方では支払遅延と債務不履行には連続的につながった状況がある。唐突かもしれないが虹を例に上げたい。虹において赤とオレンジの間に線があるわけではなく、連続して変化しているがわれわれはこれを赤とオレンジに区分している。赤とオレンジをどこで区分するかは恣意的な割り切りであろう。虹の赤とオレンジの区分を所与のこととして認識する場合には赤とオレンジの連続性が見えなくなる。支払遅延と債務不履行でも似たような状況が起こりえる。また債務不履行と認定される事象でも、個別事象ごとに状況が異なるわけであり、同じように債務不履行と認定するか否か場合によってはかなり恣意的といえるのではないだろうか。この恣意性が社会において適切と認められる場合に社会活動が円滑に行われ、証券化の場合には金融商品としての証券化商品を効率的に作ることに資しているのは間違いない。ただし円滑性・効率性と安全性・安定性が必ずしも両立しない場合がある。(ロ)これも例を上げて考えてみる。この住宅ローンのポートフォリオが十分大きくても、たとえば仮にポートフォリオが年金生活者を主な対象としているローンの集合体である場合、年金制度の動向によってはこの住宅ローンのポートフォリオの債務不履行率が大きく変化すると予想されるが、これをどう推定するか。このポートフォリオの過去の状況を調べてこれの債務不履行率を算

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