政策・経営研究43号最終
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バスク自治州ビルバオの食文化61オ側でホストとなったのが、いずれも1つ星レストランのシェフであるアルバロ・ガリード氏(Álvaro Garrido、レストラン「ミナ」)、ホセミゲル・オラサバラガ・レガルタ氏(José Miguel Olazabalaga、レストラン「アイシアン」)、セルヒオ・オルティス・デ・サラテ氏(Sergio Ortiz de Zarate、レストラン「ザラテ」)の3氏であった。そして4月には、ビルバオより上記のミシュラン1つ星のシェフ3名が揃って来鶴し、鶴岡の料理人とともに料理を提供する公開イベントを開催した。当日のイベントにおいては、星付きシェフ3人が野菜や漬物など鶴岡の食材を使って料理を提供し、地元の料理人たちが調理の補助に入り、星付きシェフの技に触れる等交流を深めた。ビスカヤ県およびビルバオ市による食文化関連の施策は上述の通りである。以上の整理から理解できる通り、ビルバオにおける現在の食文化振興は、基本的には民間セクターによる取り組みが主体であり、行政の役割は「認証」や「教育」等の側面からの支援に限定されている。このような控えめな行政の施策にもかかわらず、ビルバオの食文化振興が華々しい成功を収めているように見えるのは、グッゲンハイム・ビルバオを中心とする観光戦略が成功し、多大な観光客を呼び寄せていることが重要な成功要因であることを認識しておくべきであろう。また、ビルバオおよびバスクの料理および食文化が高い評価を獲得した背景には、ビルバオおよびバスクのアイデンティティと密接に関連する事象の存在が指摘できる。そこで以下において、代表的な5つの特徴を挙げて概観する。①自由と独立の象徴としてのタラ料理前述した通り、ビルバオは北側が大西洋のビスケー湾に面しており、海の幸に恵まれている。また、南側はバスク山脈で山の幸にも恵まれており、その山脈の南側はワインの産地として世界的に有名なリオハ地方となっている。バスク地方では、このように恵まれた地元の食材を材料として、伝統的な料理が継承されてきた。特にバスク料理として、第一に挙げられる素材が魚介類であり、その中でもバカラオ(Bacalao)は名物料理となっている。バカラオとは、タラ(鱈)の塩漬けの干物、またはそれを用いた料理のことである。そして、ビルバオは、バスクの名物であるバカラオ料理が発展した都市とされる。ビルバオでバカラオ料理が盛んに食べられるようになった背景として、スペインの王位継承をめぐる戦争であるカルリスタ戦争の際のエピソードが語り継がれている。このカルリスタ戦争とは、1833年から1876年まで3次にわたって続いた戦争であり、王位継承戦争としての形は取りつつも戦争の実態は、ビルバオ等のスペイン北部における自由主義とマドリッドを中心とする伝統主義との戦いであったとも言われている。そして、この戦争の最中に、ビルバオの市民がバカラオをひたすらに食べるようになったという、地元では有名なエピソードが生まれることになるのである。1836年に、Gurtrubayという名前のビルバオの塩漬け鱈の商人が電信で「次にビルバオに着く最初の船で、100匹または120匹の最上品質の塩漬け鱈を私宛に送ってほしい」と注文を出した。スペイン語では、1匹丸ごと保存加工されたタラの塊を「バカラーダ(bacalada)」と書き、“or;または”を“o”と書くので、“100 o 120 bacalada”と表記される。それが、電信符号では、“1000120 bacalada”、すなわち「100万120匹の塩漬け鱈」と間違って打電された。いずれにしても、Gurtrubay氏は予想以上の塩漬け鱈を入手したのだが、ちょうどそのとき、第一次カルリスタ戦争が開始され、ビルバオは敵軍に包囲されていたため、返品は不可能となった。この発注ミスは本来であれば破滅的であったかもしれない事態であったが、一方で市内の食糧不足がより深刻になってきたので、ビルバオ市民たちはGurtrubay氏の100万匹の塩漬け鱈をしきりに買い求めるようになった。そして、Gurtrubay氏は金持ちになった。これが、バスク人が塩漬け鱈を好むようになった物語であると言う(Kurlansky2000:129)。5ビルバオの食文化が高い評価を獲得した5つの背景

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