政策・経営研究43号最終
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バスク自治州ビルバオの食文化67る。すなわち、「1968年5月10日に勃発した学生や労働者の民主化運動を契機として反権威主義の機運が高まると、芸術や料理業界の若手リーダーたちは、これをアイデンティティの再構築と関連づけ、シェフの自律性と創造性を求める運動へと発展させていった。彼らが追求したヌーベル・キュイジーヌのロジックとは、旧来の調理方法を用いながら新たな食材に挑むなどの調理のルール(違法)を奨励し、レストラン運営の中心にシェフの役割を位置づけるというものであった」(涌田2015:232)と考察されているのである。このように「ヌーベル・キュイジーヌ」の思想的背景を考察すると、フランコ独裁政権が崩壊した直後に、どうしてこの料理方法をバスクのシェフたちが熱意をもって取り入れていったのかがよく理解できる。さて、実際にバスクにおける新しい料理は、どのように開発されたのであろうか。この「新しいバスク料理」誕生のきっかけとしては、「1976年11月29日から12月2日にかけてマドリッドで行われた、雑誌『グルメクラブ』の『ラウンド・テーブル』というイベントであったと言う。そこに、ヌーベル・キュイジーヌの創始者ポール・ボキューズが招かれていた」(石井2012:3)のである。そして、翌1977年には、「ガストロノミーに関するラウンド・テーブルのシンポジウムのテーマとして『地方の料理(las cocinas regionales)』が取り上げられ、シェフが地方の料理に変化とダイナミズムをもたらすことが推奨された」 (小林2015:100) のである。ちなみに、これらの食文化に関するイベントの開催は、スペイン統一を掲げた独裁者フランコ将軍が長い闘病生活の末に1975年11月20日に没した直後の出来事である。地域の言語の使用および文化の振興を禁じたフランコの死の直後に、バスク地方において新しい食文化の波が誕生するとは、歴史の巡り会わせは実に興味深い。また、同じ1977年にもうひとつ重要な出来事が始まった。「ヌエバ・コッシーナ運動のメンバーのレストランが持ち回りで月次の夕食会を開催するようになった」(ibid.)のである。バスクの創造的な料理の「新作発表の場は、持ち回りでそれぞれのレストランにて開催する食事会」(山口2015:93)であった。そして、「そこにそれぞれの贔屓の客を連れて行き、催す店の負担にならないよう会計はシェフたちが払った。招待した上客に感想をもらい、創意工夫をもって客に受け入れられる料理をつくっていった」(ibid.)とのことである。これらのシェフたちは、「自分が力を入れているレストラン(=旗艦レストラン)の経営で儲けようは考えておらず、お客に自分が納得できる質の高い料理を提供するところに価値を見いだしているようである」(小林2015:119)と評価されており、この評価に基づくと、シェフたちは職人であると同時に“アーティスト”であるとも言えよう。⑤レシピのオープンソース化と「分子ガストロノミー」上述した「ヌエバ・コッシーナ」をきっかけとして、バスクの「料理人たちは店に集まって勉強会を開き、技術と知識を教え合った。これはやがて『最高美食会議(ロ・メホール・デ・ラ・ガストロノミア)』という国際的な料理学会につながった」(土田2015:75)とのことである。そして、1998年にサン・セバスチャンで開催されたこの「料理学会」は「世界中から料理人や食品研究者、学者たちが自分たちの料理法や考え方などを発表し、共有する場」(ibid.)となったのである。そして、レストランのシェフたちがお互いに教え合いながら、さらにレシピを共有するという「料理のオープンソース化」(高城2012:4)を実践したことにより、レストランの料理のレベルが急速に向上していったのである。さらに、そのようにレベルが向上したレストランが複数登場したことによって、一軒のレストランだけでは集められない規模の観光客を都市全体として集客できるようになっていったのである。一方で、フリーかつオープンソースなソフトウェアの共同開発として最も傑出した例のひとつであると評価される“Linux”が最初にリリースされたのは1991年のことであった。そして、そのマニフェストでもある『伽藍とバザール オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト』

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