「いのち」の価値を測る

2011/07/29 大野 泰資
人的資本

「いのち」の価値は測れるか?

限られた財源を有効に活用するためには、政策の費用対効果を見極めることが必要だ、という点については、誰も異論はないだろう。ところが、防災や交通安全、環境、疾病、衛生等に関わる事業や規制など、生命や健康の安全を守る政策の効果を、政策費用と同じ単位(円)で測定して比較しようとする時には、守られるべき「生命の価値」を金銭換算せざるを得ない、という事態に直面する。果たして、「生命の価値」を金銭換算することは可能なのだろうか。

人的資本アプローチと支払意思額アプローチ

政策評価の分野では、「生命の価値」を計測する方法論は、大別すると、人的資本(human capital)アプローチと支払意思額(Willingness to Pay: WTP)アプローチに分かれる。前者は、死亡事故による人身損失額が典型例であり、その人が働けなくなることによる逸失利益のほか、治療費や慰謝料等をもって「生命の価値」とするものである。
後者のWTPとは、政策によって死亡確率をわずかに削減することができるとして、それに対して人々が支払っても良いと考える最大金額のことである。このWTPを、微小な死亡確率削減量で割って得られる値のことを「統計的生命価値(Value of Statistical Life: VSL)」と呼ぶ。すなわち、VSL=死亡確率の微小な削減に対するWTP/死亡確率の微小な削減量、である。VSLは、正確に言えば、人の命の値段を計測しているわけではなく、死亡確率を削減することに対するWTPから、「1人の人を救命することの便益」を便宜的に求めているに過ぎない。(生命価値の前に「統計的」という形容詞がついているのはそのためである。)

ばらつきの大きい統計的生命価値(VSL)

米国・英国を中心に、1980年代以降の欧米諸国においては、WTPアプローチに基づくVSLが主流となっている。例えば、米国の環境保護庁(Environmental Protection Agency: EPA)の経済分析ガイドライン(2010年12月版)では、26の先行研究から得られた1990年のVSLに物価上昇率を乗じ、2006年値のVSLとして740万ドル(1ドル=80円換算で、約6億円)が推奨されている。一方で、米国運輸省(Department of transport)では、その半分程度の値が推奨されている。
日本の研究例では、内閣府(2007)「交通事故の被害・損失の経済的分析に関する調査研究」の中で暫定値として示された2.26億円という値があり、その後も国土交通省や内閣府で調査研究が進められている状況にある。

値付けに対する抵抗感

人的資本アプローチでは、損害保険の損失額算定に表れるとおり、若い人に比べ高齢者は今後の稼得期間が短いため、経済的な意味での「生命の価値」は小さくなってしまう。では、WTPアプローチではそういうことはないかと言うと、やはり高齢者の生命の価値について、(倫理的に許されるかどうかはともかく、)若い人より割り引くべきだ、との議論はある。また、既にWTPアプローチが主流となっている米国や英国でも、「人の命に値段を付けるとはけしからん」という批判も当然のごとく起こった。

「いのち」の価値にどう向き合うか

今般の東日本大震災の復興対策としては、防潮堤のかさ上げや高台への移転、新たな安全規制の導入など、今後、生命の安全を守るための事業が多数提案されることであろう。その効果を限りある財源と比較する時、われわれは改めて、守られることになる「生命の価値」の大きさを認識しなければならない。VSLをめぐる議論は、政策効果を考える上で「生命の価値」という、これまでアンタッチャブルだったテーマに対して、われわれがどう向かい合うのかを問いかけるのである。

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