2025年11月、耳の聞こえない・聞こえにくいアスリートの国際大会「第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025」が開催されます。デフリンピックは今回100周年を迎え、初めて日本で開催されます。世界中のデフアスリートが集い、お互いを称え合い、そして誰もが生きやすい社会の実現への一歩ともなる大会です。
その記念すべき舞台に挑むのが、当社に所属するアスリート社員、岡田海緒。女子陸上800ｍ、1500mそして4×400mリレー計3種目の日本代表に選ばれています。その岡田は今、どのように感じ、どんな想いを抱いているのかを聞きました。
手話通訳協力：保科隼希さん

「走ることが好き」から始まった挑戦と覚悟

Q.働き方や日々の生活について教えてください。

私は人事部に所属し、アスリート社員として勤務しながら日々トレーニングに励んでいます。基本的には午前中に仕事、午後に練習という生活ですが、合宿や大会がある場合はそちらを優先しています。

入社後はより練習に集中できる環境が整い、競技への意識も一層高まりました。そのため大学時代よりはるかに強く「結果を出さなければならない」という責任を感じています。会社から給与をいただきながら競技に取り組む以上、成果を出すことが最大の務めであると自覚しています。

私はアスリート社員として、競技に集中できる環境を整えていただいていること、そして周囲の皆さんの協力に心から感謝しています。合宿の手配など事務的な面はサポートをいただきつつ自身で行うようにしています。そういったことも貴重な学びの機会と捉えています。

Q.陸上競技を始めたきっかけ、中距離種目を選んだ理由を教えてください。

私は、小さい頃から体を動かすことが好きで、さまざまなスポーツをしてきました。中でも走ることが大好きで、ずっと「陸上をやりたい」と思っていました。しかし、通っていた中高一貫校では、中学に陸上部がなかったため、本格的に陸上競技を始めたのは高校に入ってからです。中学3年の冬、高校進学が決まったとき、高校の部活動の練習に参加させてもらったことは、とても楽しい思い出になりました。

私は、短距離の瞬発力や長距離の持久力よりも、中距離に適したバランス感覚が自身の強みだと感じ、中距離を選びました。練習は苦しいことも多く、時には「なぜこの種目を選んだのだろう」と悩むこともあります。でも、良いタイムが出たとき、結果が出たときの達成感は格別で、「またこの感覚を味わいたい」と思えるからこそ、続けられているのだと思います。

また、100mのような短距離はわずか10秒ほどで終わってしまいますが、たとえば、800mならトラックを2周します。その分、応援してもらえる時間が長くなるのもうれしいです。

レース展開は選手によって毎回異なります。序盤から飛ばすタイプ、後半に勝負をかけるタイプ、ラストで一気にスパートをかけるタイプなど、さまざまです。そうした多様な選手たちと一緒に走ること自体が、とてもおもしろく感じられます。私自身は、追いかけるのが得意なタイプです。前を走る選手を一人ずつ追い抜いていくのはとても気持ちがいいですね。

人事部　岡田

Q.国内では記録保持者として「追われる立場」ですが、プレッシャーはありませんか。

デフ陸上では、女子のトラック競技は選手の数が非常に少なく、昨年の世界陸上では参加者が私ひとりだけでした。だからこそ、もっと多くの人に関心を持ってもらい、競技人口を広げたいという想いがあります。「追われる存在になる」というのは、プレッシャーもありますが、それ以上にうれしいことです。自分の存在が誰かの挑戦のきっかけになるなら、競技者として本望です。

もちろん、試合中はとても緊張します。その緊張の正体は、「自分自身に勝てるか」「目標の記録を突破できるか」といった、自分との戦いに対する不安や期待から生じるものです。

Q.国際大会に出場するようになって考え方に変化はありましたか。

初めて国際大会に出場したのは、大学1年生だった2016年のことです。海外の選手との実力差については、当初あまり深く考えていませんでした。しかし実際にレースを走ってみると、技術や体格の面で大きな開きがあることを痛感しました。日本人選手の中にはメダルを獲得した人もいましたが、私は入賞止まりで、自分の力不足を思い知らされました。

翌年の2017年、トルコで開催されたデフリンピックでも状況は変わらず、差は縮まるどころかさらに広がっているように感じました。海外勢は4年に一度の舞台に向けて、徹底的に準備を重ねてきます。私も全力で取り組んだつもりでしたが、結果には結びつかず、悔しさとともに「もっと成長しなければ」と強く思うようになりました。

デフリンピックは自分に誇りを持ち、それを堂々と表現できる場所

Q.デフリンピックの社会的な意義と、ご自身にとっての意義を教えてください。

デフリンピックは、聞こえない人・聞こえにくい人、つまりデフアスリートのための国際大会です。私たちにとって、特別な意味を持つ舞台だと感じています。

大会は、情報保障［¹］がしっかりと整備された環境の中で進行し、選手が安心して競技に集中できる点でも大きな意義があります。そして何より、この大会は、ろう者としての自分に誇りを持ち、それを堂々と表現できる場所だと思っています。

もう１つ、デフ陸上やデフリンピックは、自分の世界観を広げてくれました。国内だけでは気づかなかった現実を知るきっかけになり、外国人選手との交流を通じて、その国の文化や背景にも触れることができるようになりました。

Q.これまでのデフリンピックで、印象に残っている出来事はありますか。

最も印象に残っているのは、初めて出場したトルコ大会です。観客席はほぼ満席で、「デフリンピックってこんなにすごいんだ」と実感しました。日本から応援に来てくれた方もいて、会場全体がとてもエネルギッシュでした。

海外の選手とは国際手話（日本手話とは異なる世界共通の手話）でコミュニケーションを取ります。試合だけでなく、ホテルやレストラン、練習会場でも交流を重ね、友だちもたくさんできました。競技以外にも多くの出会いがあり、それもデフリンピックの大切な思い出です。

一方で、悔しい経験もあります。2022年5月に開催されたブラジル大会では1500mで銅メダルを獲得しましたが、本命だった800mには出場できませんでした。日本選手団内で新型コロナウイルスの感染が広がり、全競技を辞退することになったためです。

スタートラインに立てなかった悔しさは言葉にできません。現地にいながら走れないもどかしさに、無気力でやるせない気持ちが続きました。帰国後、1500mのメダルを獲得したことに「おめでとう」と声をかけていただきましたが、心には「やり残したことがある」という思いが引っかかり、練習にも身が入りませんでした。しばらくその状態が続いてしまい、タイムも落ちました。
しかし、「このままではいけない」と思い、コーチと話し合って練習内容を見直し、次の国際大会や東京デフリンピックに向けてリスタートすることを決意。新たな計画を立て、気持ちを切り替えて再び走り出すまでには、相応な時間がかかりました。

Q.デフ陸上を観戦したことがない人へメッセージをお願いします。

ぜひ、現地で観戦してみてください。実際に会場に行かないと分からないことがたくさんあります。デフ陸上では、選手全員が補聴器を外し、「聞こえない状態」で競技します。その中で、スタートランプや手話通訳、字幕表示など、視覚的な情報保障が工夫されています。こうした配慮にも注目していただけたらうれしいです。［²］

東京デフリンピックは、開催して終わりではなく、その先の社会をどう変えていくかが本当に大切だと思っています。たとえば、電車のアナウンスが聞こえないと、緊急時の対応が遅れてしまうこともあります。でも、パネルに字幕表示があれば耳が聞こえない・聞こえにくい人でも状況を理解できます。そんな小さな工夫が、誰にとっても安心できる社会につながると思います。

「障がい」とは、実際には社会の側にある“壁” が生み出しているものです。私たちは、耳が聞こえないというだけで、他の人と何も変わりません。その壁を壊していくことが、デフリンピックの先にある社会をより生きやすくすると考えています。それも、私たちデフアスリートの務めの１つです。

Q.東京2025デフリンピックへの想いを教えてください。

東京は私の生まれ育った場所です。家族や友人、支えてくれた方々が応援に来てくれると思うと、特別な気持ちになります。日本開催のデフリンピックは、私にとってこれが最後かもしれません。だからこそ、これまでで最高の走りを見せて、感謝を届けたいと思っています。
目標は、輝くメダルを手にすることです。

［ 1 ］障がいの有無にかかわらず、すべての人が必要な情報に平等にアクセスできるようにする取り組み。デフリンピックの場合は、デフアスリートが競技や大会運営において、必要な情報を得られるようにすること。たとえば、スタートの合図を光や振動で示したり、アナウンスや指示を字幕や手話で伝えたりするなど、視覚や触覚を活用した情報提供が行われる。

［ 2 ］デフアスリートたちに視覚的に応援のメッセージを伝える「サインエール」があります。解説動画も公開されていますので、ぜひ現地でデフアスリートたちをサインエールで応援してください！
TOKYO FORWARD 2025「デフアスリートに届ける新しい応援スタイル『サインエール』」（2025/10/10）

手話通訳士保科隼希さん

1998年、福島県生まれ。2023年に手話通訳士の資格を取得、フリーの手話通訳士としてデフスポーツをはじめ多くのイベントなどで手話通訳を務めている。

岡田海緖（おかだみお）
人事部
profile東京都生まれ。デフ陸上女子800m・1500m・1マイル日本記録保持者。
生まれつき耳が聞こえず、高校までろう学校に通う。幼いころから走るのが好きで、高校で陸上部に入部し、本格的に陸上を始める。女子デフ陸上をリードする存在で、２回目の出場となったブラジルデフリンピックでは、1500ｍで銅メダルを獲得。東京2025デフリンピックでも活躍が期待される。

東京2025デフリンピック関連情報
東京2025デフリンピック観戦ガイドにはデフリンピックに関する情報や競技の見どころ等、デフリンピックをより楽しめるさまざまな情報が掲載されています。
本大会では、公式YouTubeアカウント「TOKYO 2025 DEAFLYMPICS」にて競技のインターネットライブ配信を実施いたします。

※所属・肩書は記事公開時点のものです

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