人材戦略におけるリスキルのポイントと実践例

2023/11/10 小林 徳崇
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人的資本経営を世に広めた「2020年公表の人材版伊藤レポート」において、人的資本経営の実現に向け、経営陣に期待される役割・アクションとして「経営戦略と連動した人材戦略の策定・実行」が挙げられています。同レポートは人材戦略に求められる「3つの視点と5つの共通要素」を提示しており、5つの共通要素のうち「共通要素③ リスキル・学び直し」については、2022年の臨時国会における岸田文雄首相の所信表明でも、学び直し(リスキリング)が言及されています。背景には、DXの進展によるサービスや業務のデジタル化をはじめとしたビジネスの変化、少子高齢化や健康寿命の延伸による就業期間の長期化といった社会の変化、企業の無形資産に対する投資家の注目の高まりといった市場の変化があり、その重要性に対する社会の認識は高まっているといえます。

本コラムでは、「2020年公表の人材版伊藤レポート」で取り上げられた5つの共通要素のうち、「共通要素③ リスキル・学び直し」のための取組を実践するポイントを解説します。

リスキルの成功事例

リスキルの重要性は理解していても、その取組がどのように企業価値の向上につながるのか、イメージしづらいという方もおられるかと思います。また、リスキル・学び直しのための施策を検討する上では、ポイントを押さえる必要があります。そこで、本章ではリスキルの成功事例に基づき、ポイントとなる点を述べます。
アメリカの通信事業者であり、巨大メディア・コングロマリットであるAT&T社は2008年に実施した社内調査を踏まえて「2020年までに10万人の従業員にリスキルを行い、事業に必要なスキルを獲得する」ことを目指し、主に三つの施策を実施しました。

【図表1】AT&T社のリスキルの取組について
AT&T社のリスキルの取組について
(出所)[ 1 ][ 2 ][ 3 ]を参考に当社作成

その結果、社内の技術職の半分がリスキルプログラムを受講し、また社内の技術組織における昇進件数の47%をプログラム受講者が占めるなど企業価値向上につながる成果が得られました[ 1 ]。

リスキルのポイント

AT&T社の事例の特徴は以下の三つです。

  • 個々のジョブに必要なスキルを明示し、スキルの保有・習得が報われるようにする
  • 従業員が新たなスキルを生かせる機会を手に入れたり、習得するプログラムなどに容易にアクセスできたりするよう、制度構築やシステム導入など、環境を整える
  • 従業員に対して強制的にスキルの習得を促すようなことはしない

上記の事例では、リスキルはまず「個人が自発的に行う」ことを前提とし、会社は「自発的に取り組む仕掛けを作る(=環境を整備する)」ことで一人一人の価値向上を促して、その結果として企業価値向上につなげています。これらのリスキルに対する考え方や進め方こそが、成功のポイントになったと考えられます。

ポイントを押さえたリスキルの実践例と効果

それでは「個人の自発性を前提とし、その自発性を促すリスキルの仕掛け」を作るために、具体的にどのように取り組めば良いでしょうか。本章では、当社がこれまでご支援したお客様の事例などを、「2022年公表の人材版伊藤レポート2.0」に示された「リスキル・学び直しのための取組」として示された5項目から抜粋した3項目と照らし合わせながら実践例とその効果を紹介します。

【図表2】リスキルの取組の事例について
リスキルの取組の事例について
(出所)当社作成

(1)組織として不足しているスキル・専門性の特定

リスキルが人材戦略の一環として経営戦略の実現を助けるためには、その実現に当たって不足するスキル・専門性を特定するプロセスが欠かせません(2022年公表の人材版伊藤レポート2.0より)。一つ目の事例では、人事評価制度を利用して、社内の専門性の把握を行っています。この取組の一次的な成果は、会社に存在する専門性の把握と会社として必要な専門性を特定するための情報を収集したことです。しかしこれにとどまらず、上司、部下双方に好影響を与えるという副次的な成果も生まれました。具体的には、上司にはこの機会に把握できた部下のスキルを活用しようという意識が芽生えて「部下の専門性向上を奨励するようになった」、また部下からは「自らの専門性を棚卸でき、専門性の不足や強みを意識するようになった」という声が上がりました。すなわち、スキル・専門性を特定するというプロセスが、自発的な専門性向上の風土醸成に寄与する結果ももたらしたと言えます。またこの取組を端緒とし、収集した情報と経営戦略を照らし合わせ、その中から会社として特に必要な専門性の特定とその習得促進や処遇への反映など、次の段階の取組へとつなげることを検討しています。

(2)社内外からのキーパーソンの登用、当該キーパーソンによる社内でのスキル伝播

二つ目は、精密部品加工の競争力強化という経営戦略の実行のために効果的にリスキルを行った事例です。具体的には、「シニア層の持つ熟練スキルと若手層の持つ新しいスキルの融合」が必要という認識から、相互のスキル伝播を促進しています。
取組を通じ、熟練スキルと新しいスキルの相互伝播という結果以外にも、世代に関係なく教え・教え合うことの面白みや意義を従業員が感じ、自発的にスキルを教える、またはそれを受けるという意識が芽生えることにつながりました。特にシニア層がその気づきを得たことが、大きな成果となりました。

(3)社外での学習機会の戦略的提供

三つめは社外学習の機会をより実践的なものにして、経験やノウハウを持ち帰ってもらうことを目指した事例です。従業員から希望を募るプログラムとし、応募者は出向したい企業(もしくは業界)とそこで得たい経験・知識・スキルと帰任後の活用についてプレゼンします。合格後に応募者は自ら出向したい企業と交渉し、合意を得て1年間出向します。
従業員の高い自発性が前提となる取組ということもあってか、より具体的な成果が出ています。例えば戦略コンサルティング会社に1年半出向して新規事業の組成についてのスキルを習得した従業員が、帰任後、早速新規事業のプロジェクトを立ち上げたケースもあります。また、出向受け入れ側の企業にとっても、人件費の負担なく外部知見が入る、出向期間中の人脈が継続するなどのメリットを感じており、再度の受け入れを歓迎するケースも発生しています。

リスキルのポイントの有効性

紹介した三つの事例は、それぞれ業種・規模も、置かれている環境も異なります。いずれもリスキルは「個人が自発的に行う」ことを前提とし、会社が「自発的に取り組む仕掛けを作る(=環境を整備する)」ことで一人ひとりの価値向上を促し、結果として企業価値を向上させています。つまり、AT&T社の事例から抽出したポイントに即した取組は、幅広い業種・規模の企業において成果を上げる可能性があると言えます。

自社のリスキルに関する人材戦略を成果に結びつけたいと考える方々にとって、本コラムで提示した、“リスキルは「個人が自発的に行う」ことを前提とし、会社が「自発的に取り組む仕掛けを作る(=環境を整備する)」”というポイントで施策検討の一助になれば幸いです。

【関連レポート・コラム】
ジョブ型雇用におけるリスキリング施策~事例にみるリスキリングの検討ポイント~

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1 ] John Donovan and Cathy Benko, “AT&T’s Talent Overhaul”, Harvard Business Review 2016年10月号
68-73頁(2016年)
2 ] Aaron Pressman, “AT&T Retrain 100,000 People?”, FORTUNE,
https://fortune.com/longform/att-hr-retrain-employees-jobs-best-companies/(最終確認日:2023/11/1)
3 ] Jenifer Robertson, “How to Build a Culture of Learning”, AT&T Blog,
https://about.att.com/innovationblog/culture_of_learning(最終確認日:2023/11/1)

執筆者

  • 小林 徳崇

    コンサルティング事業本部

    組織人事ビジネスユニット HR第1部

    マネージャー

    小林 徳崇
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