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政策活用が進む「ナッジ」:省エネへの活用事例

2021/07/27
石川 貴之

「省エネ性能の高い商品を購入したいが、価格が高いのでやめよう。」エアコンや冷蔵庫などの家電買替の際に、こうした経験をしたことはないだろうか。購入時に多くの出費を要しても、長期的な電気料金の節約効果を考えれば、この選択は非合理的かもしれない。しかし、人はいつでも合理的な選択ができるとは限らないのである。

人々の非合理的な選択によって社会的な不利益が生じる場合、行政は補助金や法規制などの政策手法によってその状況を正そうとしてきた。しかし、これら従来の政策手法は準備や実施にかかる事務的・金銭的なコストが大きくなりがちであることが課題であった。そこで登場したのが「ナッジ」という新たな手法である。

本稿では家庭向け省エネ政策としてのナッジに焦点を当て、国内外の代表的な実証事例を紹介したい。

1.新たな政策手法として注目されるナッジ

ナッジは本来「肘で軽く突く」という意味であるが、そこから転じて、行動経済学の世界では「人々が自発的により良い選択ができるように手助けする手法」という意味で用いられる。従来の法規制のように人々の行動を制限するアプローチとは異なり、ナッジは人々に選択の自由を残しつつ社会課題の解決を後押しするための費用対効果の高い手法である。ナッジを有名にしたのは2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏(シカゴ大学教授)であり、キャス・サンスティーン氏(ハーバード大学教授)との共著である「Nudge: Improving Decisions about Health, Wealth, and Happiness(2008年)」のなかでナッジの概念を提唱した。以降、米国をはじめとする国々で公共政策としてのナッジの効果検証や実用化が進んでいくことになる。

2.ホームエナジーレポート送付による省エネ実証実験-米国の事例

海外における省エネナッジの有名な事例としては、2009年にOpower社1が米国の複数州で開始したホームエナジーレポート送付によるエネルギー節約の実証実験が挙げられる。ホームエナジーレポートは自身の直近のエネルギー使用状況を示したレポートであり、実証期間中定期的に各世帯に送付された。米国のいくつかの州では、エネルギー供給事業者に対して消費者のエネルギー需要の抑制を義務付ける法規制が整備されている。そこで、Opower社はエネルギー企業12社と協力し、ホームエナジーレポートによる省エネ効果の検証を目的とした17ケースのランダム化比較試験2を実施した。この事例は、最終的に60万世帯から2,200万件のサンプルを収集した米国最大級のフィールド実証のひとつである。

ホームエナジーレポートには行動科学の世界で有効と立証されてきた省エネ促進のための2つの工夫が含まれていた。1つ目はエネルギー消費量の社会比較であり、自身の直近の電力消費量が近所の類似世帯と比べて多いのか少ないのかを視覚的に明示するものである。社会における自身の相対的な立ち位置を認識させることで社会規範の遵守に訴え、特に電力消費量が多い世帯の節電を促す仕掛けである(図 1)。2つ目は世帯構成や過去の電力消費パターンに応じた具体的な省エネアドバイスであり、何をすればいくら節電できるのかを明示することで、世帯ごとに見合った方法で省エネを促す仕掛けである(図 2)。

図 1 ホームエナジーレポート(電力消費量の近隣比較)3

グラフ 電力消費量の近隣比較

図 2 ホームエナジーレポート(省エネアドバイス)4

省エネアドバイス

(図 1及び図 2の出所)Allcott, H., Social norms and energy conservation, Journal of Public Economics. (2011),
doi: 10.1016/j.jpubeco.2011.03.003

ホームエナジーレポート送付後の電力消費量を測定した結果、処置群は対照群に比べて約1.4~3.3%の追加的な節電効果が確認された。また重要なことに、レポートが定期的に送付された約2年の間、節電効果は低下することなく持続するか、むしろ増大することも確認された。ホームエナジーレポートの実証実験は、追加的な補助金や法規制を整備することなく、単にエネルギー使用状況と省エネアドバイスを工夫して伝えるだけで消費者行動は変容し、費用効果的にエネルギー消費量を節約できることを立証したのである。

このような欧米諸国における省エネナッジの成功事例を受けて、近年我が国においてもナッジを活用した同様の取組が広がりつつある。例えば、ホームエナジーレポート送付による省エネは日本においても実証実験が行われ、送付から2ヶ月後には1.2~2.0%のCO2削減率が確認されている5。行政においては、2017年には環境省が中心となり日本初となるナッジ・ユニット「BEST:Behavioral Sciences Team」が設立され、省エネ分野を中心としたナッジの実証実験が加速するきっかけとなった。以下では、令和2年度環境省ナッジ事業の一環で三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社が横浜市の協力を得て実施した、地域コミュニティを通じた省エネナッジの実証事例を取り上げたい。

3.地域コミュニティを通じた市民の省エネ行動変容に関する実証事業-日本の事例

同実証事業は地域コミュニティに属する市民のエネルギー消費行動の変容を狙い、横浜市の一部の自治会で実施された。省エネを促す工夫としては、従来のホームエナジーレポートに含まれるナッジの要素をベースとしつつ、各世帯の電力消費状況をより身近な近隣世帯と比較することで同調性に働きかける仕掛けや、地域で一体となり省エネ行動に取り組みたくなる仕掛けが追加された。実証事業に参加した世帯はランダムに処置群と対照群に振り分けられ、処置群の世帯に対しては、自治会からの省エネ促進メッセージ(図 3)や町内の節電上手な世帯との比較を含むエリアエナジーレポート(図 4)、省エネ行動のためのアドバイスシート(図 5)、他世帯の省エネ行動への取組状況の可視化シート(図 6)などが配布された6。また一部の資料を自治会の回覧板に挟んで人から人へ手渡しで配布することで、資料に対する各自の注目度やコミュニティ全体で省エネ行動に取り組む一体感が増すような工夫もなされた。

図 3 自治会からの省エネ促進メッセージ

メッセージ

図 4 エリアエナジーレポート

昨年12月のご使用量比較

図 5 省エネアドバイスシート

省エネアドバイスシート

図 6 省エネ行動への取組状況の可視化シート

省エネ行動への取組状況の可視化シート

(図 3から図 6の出所)環境省「令和2年度低炭素型の行動変容を促す情報発信(ナッジ)等による家庭等の自発的対策推進事業(地方公共団体との連携によるナッジ活用モデルの確立と地域循環共生圏の実現)委託業務成果報告書」

実証事業に参加した各世帯の1週間の電力消費量について、資料配布前後における平均値の推移を示したグラフが図 7である。対照群と処置群の電力消費量の差分を見ると、資料配布前(1~4週目)は1週間あたりで25~35kWh程度であったが、配布後(5週目以降)は50~60kWh程度に拡大したことが分かる。実証事業は秋から冬にかけて実施されており、暖房需要の増加とともに電力消費量も増加傾向にあるが、処置群では介入効果により対照群に比べて増加ペースが緩やかになった可能性が示唆されている7

一方、節電率の大きさについてはデータを統計的に分析した結果、資料配布後の期間において平均して約6%の効果が推定されたが、統計的な有意性までは確認できなかった。すなわち、国内外のホームエナジーレポートの先行事例と比べたとき、約6%減という節電効果はインパクトの強い数字であるものの、その効果の確からしさまでは検証しきれていないということである。また、介入の時期や場所が変われば、当然効果の大きさが変わる可能性もある。こうした点を明確にするためには、他の地方公共団体とも協力しつつ様々な時期や場所で同様の実証実験への取組を広げていき、サンプルを増やしながら改めて介入効果の検証を進めていくことが必要である。

図 7 週ごとの電力消費量の推移

グラフ 週ごとの電力消費量の推移

(出所)環境省「令和2年度低炭素型の行動変容を促す情報発信(ナッジ)等による家庭等の自発的対策推進事業(地方公共団体との連携によるナッジ活用モデルの確立と地域循環共生圏の実現)委託業務成果報告書」よりMURC作成

4.省エネナッジ×実証実験の未来

このように、介入の効果が不明であれば実証フィールドやサンプルを変えた再検証の実施を、有効性が立証されたのであれば政策のスケールアップを、効果なしと立証されたのであれば他政策への代替をなどと、次のステップとして何をすべきかが明確化できることが実証実験のメリットである。そして、従来の規制・補助金ベースの政策手法と比べて、ナッジは政策効果の検証が行い易いことから実証実験との親和性が高く、政策の費用対効果について定量的な根拠が求められつつある近年の政策決定プロセスにも良く馴染むのである。日本における省エネナッジはまだまだ歴史が浅く、政策効果を示すエビデンスの蓄積のために今後も多くの実証実験が必要であるが、従来の政策に代わる手法としてナッジの活用が進むことが期待されている。

1 2016年にOracle社により買収された。
2被験者を処置群と対照群にランダムに振り分けた上で処置群にのみ特定の介入を行い、両群を比較することでその効果を測定する手法である。ランダム化により処置群と対照群の被験者の属性が均質化するため介入の効果を最も精緻に測定できる方法であり、治験や政策効果の検証時に用いられる。
3 左側の棒グラフでは、電力消費量について、自身の世帯の直近の値(黒色棒)が地理的に近い類似世帯の平均値(橙色棒)、及び類似世帯の中でも省エネ上手な世帯(緑色棒)と比較されている。「地理的に近い類似世帯」は住宅の延床面積や使用する熱源が似通った近隣の約100世帯から成り、その中で20パーセンタイルの世帯を「省エネ上手な世帯」と定義している。右側の図では、自身の電力消費量が省エネ上手な世帯より少ない場合は「Great」、類似世帯の平均値より多い場合は「Below Average」、省エネ上手な世帯と類似世帯の間に位置する場合は「Good」が表示される。
4 家電買替による省エネ促進と機器の使い方による省エネ促進とで、2つの側面のアドバイスから成る。
5 住環境計画研究所「ホームエネルギーレポートによる省エネ効果の地域性・持続性に関する実証研究-初年度の省エネ効果と省エネ意識・行動の変化-」http://www.jyuri.co.jp/2522/(閲覧日:2021年5月31日)
6 公益性の観点から、公共政策の検証にランダム化比較試験を用いる際は、処置群に振り分けられた被験者のみが介入の便益を受けてしまわないように注意が必要である。同実証事業では、分析に必要なデータを一定の期間をかけて収集した後で、対照群に属する世帯に対しても処置群と同様の資料を配布し、省エネ行動への取組を促した。
7 理論上はランダム化により処置群と対照群の属性が均質化するが、今回の実証事業では住居種別(戸建/集合住宅)や太陽光発電システムの有無などの点で両群の間に異質性が確認され、介入前の段階で電力消費量の平均値の大きさに差が生じた。処置群の電力消費量の増加ペースが対照群に比べて緩やかであるのは介入効果によるものと考えられる一方で、こうした属性の違いが影響を与えている可能性も排除しきれない。

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